私のルーツと、ここから繋げるストーリー

Text: SHINO SAKAMOTO
Photo: YUICHIRO NODA

アクアスキュータムが創業170年を迎え、「続けること」と「続くこと」について考えていくインタビュー連載「CONTINUE」。ブランドの名作であり、普遍の象徴であるトレンチコートとともに、著名人に「続けること」と「続くこと」を数珠繋ぎに問いかけていきます。エレクトロユニット・Black Boboiのメンバーでファッションモデルのジュリア・ショートリードさんからバトンを受け取り、コムアイさんが登場。昨年、水曜日のカンパネラを脱退以降、さらに唯一無二の存在感を発している彼女と、彼女が生まれ育った街、神奈川県宮崎台を訪れました。懐かしい思い出を紐解きながら、現在の彼女に至るルーツを一緒に探っていきます。

Q: 今日はコムアイさんが生まれ育った街、宮崎台に来ました。ここにはいつ頃まで住んでいたのでしょうか?

 

18歳くらいまで住んでいたのですが、私にとっては因縁の地というか、ここから逃れたくて頑張ってきた、みたいなところがあります。私だけではなく、地元ってみんなにとってもそうかもしれないけど……。このあたりは新しく作られたベッドタウンで、古い歴史やコミュニティや芸能が受け継がれてきたという場所ではなく、当時はそれがすごく引っ掛かっていたんですよね。もやもやしたものをずっと抱えていました。神奈川って東京のすぐ隣で地方とは呼べない微妙な距離感だから、仕事などで同じ川崎市の出身の人に会っても同郷感みたいなもので盛り上がってハイタッチ! とかにはならない(笑)。都会から離れた田舎の出身で、地元愛に溢れているような人を羨ましく思っていました。

Q: ここでどんな子供時代を過ごしたのでしょうか?

 

早く大人になりたいと思っていましたね。中学生の頃は『CanCam』を熟読していて、意外かもしれませんが赤文字系でした。足首がキュッとしまったブーツを履いたりしていましたね。

 

Q: とても意外です。その頃からトレンチコートを着られていたとか……。それはどなたかの影響だったのですか?

 

トレンチコートを初めて着たのは小学校の高学年ぐらいだったと思います。それまではハートの付いたデニムジャケットとか小学生らしい格好をしていたけど、大人っぽい格好に興味を持ち始めたのがちょうどその頃で、両親にリクエストして買ってもらったんです。トレンチコートって、大人の服の象徴だと思うんですよね。今日着てみてもやはりそう思いました。背筋がシャンとするし、中身もちゃんとしてなきゃ! みたいな良いプレッシャーがあります。当時着ていたトレンチコートは、裏地がチェック柄になっていて、そこが可愛くて気に入っていました。

毎年4月に宮崎台では「桜まつり」という地元のお祭りがあって、坂道の両側の桜がバーッと一斉に咲いて盛り上がるんです。1本だけある大きな八重桜もきれいで。そのお祭りの時にトレンチコートを着て家族と桜を見に来たのを覚えています。

東急田園都市線「宮崎台駅」の駅前にて。中学校から約10年間、藤沢にある学校まで片道90分かけて通っていた

Q: そんな思春期をこの街で過ごすなかで、いつ頃音楽や表現することに目覚めたのですか?

 

『CanCam』を読みながら、ここに出てくるキラキラなOLやバリキャリに私はなれないな、とある時にふと気付いたんです。中学校2年では学校で椅子にずっと座っているのが嫌で、休んだりしていました。高校くらいの時でしょうか。父はサラリーマンで、大学を出てから定年退職するまで同じ会社にずっと勤めていた人なんですが、その父からも「君はたぶん普通の会社は合わないと思うから。何か見つけてうまくやりなさい」と言われていました。当時はそう言ってもらえたことで腑に落ちたというか、「やっぱりそうだよね」と安心した記憶があります。

幼少期には英語、書道、バレエ、バイオリン、塾などたくさんの習い事をしていたというコムアイさん。この駅にはその行き帰りでの思い出もたくさん詰まっている

Q: その頃から今も続けていらっしゃること、もしくは「あの頃から変わらないな」と思う部分があるとすれば、どんな部分でしょうか?

 

私ホントに飽き性なんですよね。なかなか長続きしない。でも、改めて考えてみると、あの頃に経験したことから1回離れて今またリバイバルしているというか、“戻ってきている”感じがすごくしています。例えば、今気候変動にまつわる活動をいろいろやっているけど、社会課題に向き合うということは、中学生の頃、私が自分の意志で初めてやり始めたことなんです。家庭でも学校でもない場所で、自分で大人に話を聞きに行ったり、勉強会へ行ったり、募金活動をしたり。あの時の一歩が本当の最初だったなと、今すごく思います。世界はすごく広くて、いろんなことを考えている人がいて、いろんな視点、いろんな文化がある。外に向かってレールを外して行ったことで自分だけの新しい世界が開けて、映画とか本とか演劇、歌、クラブカルチャー……たくさんのものに触れることができた。あの経験がなかったら人生自体が面白くないものになっていたと思うし、当時は命を救われたような気がしていました。

 

Q: 家庭や学校ではない場所で出合うもの、出会う大人から受ける影響ってとても大きいですよね。

 

ホントそう。核家族化がどんどん進むとどうしても親と学校だけになっちゃって、私自身も宮崎台で過ごした時期で考えると、それが一番辛かったかも。

そんな経験もあるので、いずれはそういう場所というか、親や学校が作れない場所をどこかに作れたら良いなと思っています。変な本が置いてあったり、映画にめちゃくちゃ詳しいおじいさんがいたり、役に立つか立たないかわからないことを好奇心を持って学べる場所。自分がそこで何かをやるというよりは、そういう場所を作って残すことができたら良いなと思い描いています。

Q: 水曜日のカンパネラを昨年脱退されましたが、そこからの活動はとにかくジャンルが幅広く、スピード感もあり、イメージも見る度に違い、とても面白く拝見しています。ソロで活動されるにあたって、何か掲げているものや決めていることがあるのでしょうか?

 

テーマや軸を決めているっていうことはなくて、いただいたお仕事を一つひとつ考えてどうするか決めているだけです。でも、私自身のポジションや見え方は関係なく、参加する作品や企画自体が世の中に届いて欲しいと思えるものかどうか、ということはすごく考えているかもしれないです。自分の生い立ちや背景みたいなことって、今まであまり話してこなかったので、今回この宮崎台で取材していただくのは良いなと思ったし、当時ここで感じていた自分の問題意識とかをほかの人とも共有できたら良いなとも思って今日は来ました。

Q: ありがとうございます。ファッションのこともぜひお伺いできればと思うのですが、最近はどんなふうにファッションを楽しんでいらっしゃいますか? 環境に配慮したファッションも一般的になってきましたが、どんなスタイルに興味がありますか?

 

“新品の価値”をよく考えたりしますね。新品でピカピカなものじゃなくて、だんだんと味わい深くなっていく服のほうが、実は価値が高いんじゃないかなって。古着を着ているとよくそう思います。

 

Q: 時を経て残っているということはそれだけ大事にされてきた、ということですもんね。

 

ですよね。このアクアスキュータムのトレンチコートも、今はパリッとしていますが、だんだんと時間を重ねて、生地もやわらかくなっていくことを想像するとちょっと楽しいですよね。それをおじいちゃんやおばあちゃんが襟を立ててウエストをぎゅっと絞って着ていたら……私はそんなふうに着られた服のほうが好きみたいです。

Q: 音楽のこともぜひ聞かせてください。民謡やアイヌのウポポ、インドの古典音楽など、いろんな地域のいろんな音楽を学ばれているそうですが、始められたきっかけは何だったのでしょうか?

 

私はもともと音楽的なバックボーンがないまま現場を重ねてきたのですが、例えば、料理にしても、即興で作ったりすると毎回同じような味になっちゃう……ということってないですか? 違うものを作っているようでもなぜか似てきてしまう。そんなふうに自分が毎回同じゾーンに行ってしまうのがちょっと嫌になってしまって。そういう時に料理教室に通って一度レシピに忠実に作ってみると、自分の料理に幅が出てきたり自由に変化を作れたりする。そういうイメージで古典を習っています。

 

Q: コントロールできない環境下に身を置くことで選択肢や可能性を引き出していく。

 

やり慣れない技術にあえて取り組むきっかけになるから良いのかもしれません。曲のリリースで忙しくしていた時はそういう時間や余裕をあまり持てないでいたので、今はただ習うことが楽しいです。音楽って、「自由で何をやってもいいよ」ってなると、意外といろんなものにはならなくて、へたくそだったり、停滞してしまうことに気付いて。思いっきり型があるものを逆に習うことで自分のなかの引き出しを増やしていけたらと思っています。

Q: そこからはきっと、音楽だけではなく、歴史やカルチャーなども紐付いて学べていけそうですね。

 

まさにそうです。入口は音楽かもしれないけど、食べものや暮らしぶりや言葉、宗教など、生活のいろんなものが網目のように繋がっています。文化人類学や民俗学は大学生ぐらいの時から好きで、いろんな地域の伝説や民話を知ることが好きですが、私は資料で学ぶだけでなくて、歌や踊りで習って、自分の身体に液体を入れるみたいに流し込んでいく感覚が好きですね。ちょうどこの間も、遠野の「しし踊り」という郷土芸能を教えてもらっていて、発見がありました。

 

Q: いろんな音楽やカルチャーがコムアイさんのなかに吸収されて、ミックスされて、そこからどんなものが発信されていくか、今後がさらに楽しみになってきました。

 

ありがとうございます。さっきの話に戻ってしまうけど、自分のルーツって、産みの親や育ての親、学校、育った環境だけじゃないんですよね。きっと、いろいろな繋がりのなかにたくさんの“親”がいる。そういう人たちと共有する時間や体験をこれからも大切にして、大事にすべき伝統や永く残って欲しいと思うものを少しでも継承できたり、次に繋げていけたりしたら良いなと思っています。

この日着用されたアクアスキュータムのトレンチコートについて「今はパリッとしていますが、だんだんと時間を重ねて、生地もやわらかくなっていくことを想像するとちょっと楽しいですよね」と語るコムアイさん。古着も愛する彼女は「時間を経て味わい深くなっていく服のほうが価値が高いと思う」と話す

アーティスト

コムアイ

1992年生まれ、神奈川育ち。水曜日のカンパネラのボーカルとして国内外で活躍し、音楽活動のほかにもモデルや役者、ナレーターなど様々なジャンルで活動してきた。2021年9月に水曜日のカンパネラを脱退後も意欲的に活動を続け、気候変動への理解を広める運動なども積極的に行っている。Instagram @kom_i_jp

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