見えないチカラが命を支える
自分自身に漢方を処方しながら、試すことを繰り返すうちに、その面白さに開眼していった格朗さん。ある時、眠りの浅さと朝の弱さを克服したくて処方した漢方を飲んだ日、夜布団の中で一瞬の瞬きをした感覚で朝になっていたという経験があったそう。そんないくつもの経験を重ねる中で、目には見えない力を実感していくのです。それこそが、漢方や東洋医学の世界で最も大切にされている「気」だと言います。
「元気、気力、気持ち、気を配る、気を使う。日本語には『気』と言う字が入る言葉もたくさんあるので、何となくイメージを持てる人も多いかもしれません。気と血と水というのが、体を構成する大切な3つの要素で、私たち生物は気が無ければそもそも生きてはいないんです。例えば、体が死んだ時はまだ、血液と水分は失われてないのに、命は途絶えている。本来、血と水と臓器とが全部あったら生きているはずなのに、死んでいるということは、何かが抜けていると捉えられます。それが、気です。死だけではなく生まれる時も同じ。男女二人の「気」があるから、もう一つの「気」が生まれる。「気」は植物にもあるし動物にもあって、生命力の根源なんです。目には見えないし数値では測れないけれど、元気が無ければ病気になるし、気を配れば疲れる。気を使ったら、自分の気が無くなっちゃうわけです。だから、気は補わなくちゃいけない。気を揉んだり気が散ったりしたら、落ち込んだり集中出来なくなるから、気を整えていくんです。気が滞っていたら鬱々するし、上がっていたらイライラするし、消耗していたら悲しい。この心身の『気』というものをどうみなさんに伝えたらしっくり来るんだろうって、いつも考えています」
聞くことで本当の症状が見えてくる
上手に伝えること、そして、相手の声を聞くこと。それは、格朗さんが漢方を処方する上で一番大切にしていることです。東洋医学では、患者の治療方針を決定するために4つの診察方法「四診」が用いられます。「舌を見る=望診、観察する=聞診、聞き出す=問診、脈を見る・お腹を触る=切診」という診察方法の中で、格朗さんが最も時間を割いているのは、問診です。症状を観察しながら患者と喋ることで、一つの病名には言い表せないその人ならではの症状を聞き出していくのです。
「僕は自分が素人だったから、難しい言葉を使わずに伝えることや、些細なことでもしっかり聞くことを何よりも大事にしたいと思っているんです。精神面で言うと、怒る、喜ぶ、思う、憂う、悲しむ、驚く、怖がるなど、感情によってどの臓器が弱るか、逆にどこの臓器が弱っているからその感情が生まれるのかを見極めます。常にイライラしている状況があるから肝臓が悪くなっているのか、肝臓が不調だからイライラしやすいのか、みたいなことを考えていくわけです。そんな感情を聞き出すことも、『気』のやりとりですよね。
でも、感情と病で厄介なのが、ここ最近何事もストレスの一言で片付けてしまうこと。病院に行って一番患者さんが困るのは、ストレスのせいとか老化のせいにされてしまうことでもあります。それはもちろんそうなのですが、ストレスの中にもたくさんの感情があるから、本当はもうちょっと細かくどういうストレスなのか、どんな嫌なことがあったのか、忙しさなのか落ち込みなのか、イライラなのかで、本来は違うはずなんです。もうちょっとその人の心身の状態を掘り下げて、その人の見えない部分まで見出してみる。そうすると、徐々にその人の状態がわかってくるんです」
問診は芸術のデッサンのよう
「僕は、患者さんと向き合う時、とにかく全部の情報が一回欲しいんです。この感じは、デザインや美術でいうところのデッサンに近いと思うんですね。描く時間よりも、見る時間が長い方が良いんです。決めた線を描くのは最後で良くて、まずは一回、全部の情報を得るために、じっくりと観察したいんです。観察しながらいろいろな線を探ってみる。そうすると、何となく処方が見えてくる。最初は、これもこれもあれもアリだと思っていたのが、話し続けるうちに絞られていくんです。そういう進め方が、僕は楽しいんです」
実際、格朗さんの四診を受けて、自身の不調やこうありたいという自分について伝えることは、患者側にもとても良い効果を生み出します。例えば、同僚や家族にも気を使って言えないことでも、言って良い人がいるだけで、気持ちが落ち着いたりするように。薬という物理的なものだけではなく、薬局を訪れる患者さんたちの中には、聞いてもらえることで気の流れが良くなって、すっきりする人もいると言います。
「何を言っていただいても全然良くて。時には、重い話もありますけれど。でもそれを受けとって、何とか良くしてあげよう、という気持ちが根本にあります。どうにかしたい、という気持ちがとにかく強いんです。きっと僕はトラブルを解決することが好きなんだと思います(笑)。トラブルがあるところ、うまく回っていないところを、何とかして整えたいっていう気持ちがいつもあるんです。漢方薬も染色もそうですが、何かを混ぜて調整するのが好きなんだと思うんですよね。だから、どんな方が来ても、とりあえず困っていることや、良くしたいところを聞かせてもらって、何とかしようと考えています。生きていくことの微調整をしていく作業が、きっと好きなんだと思います」
自然哲学と変化に寄り添うこと
自然の力や摂理を利用して、人をより良い方向に導くという行為は、きっと漢方発祥のもっとずっと昔、太古の時代の人々の行為からも繋がっているものかもしれません。水は澱まずに流れていた方が良く、熱は上昇していくもの、木は天に両手を広げてのびのびとしていた方が良い、などと言うように、漢方の考え方もまた嘘のない自然哲学によって支えられているようです。
お祖父さんやお父さんが繋いでくれた漢方家という道を、格朗さんは次第に自分のものへと変えていきます。先人が残したたくさんの古書を開きながら、変わりゆく未来に向けて、漢方がどう人々の支えになれるかを日々模索しています。誰でも気軽に漢方と向き合えるよう、なるほどと腑に落ちてもらえるよう、薬局で処方を行う傍ら、自然と漢方との関係を書物にまとめたり、国内外の各地でワークショップを開催したりしています。
「漢方に限らず、様々なジャンルで古くから受け継がれてきたものも、暮らしとともに時代で変わっていきます。衰退や淘汰されることを乗り越え、引き継がれているものは、どこかで大切にされてきたものです。まだまだ、漢方の世界にも出来ることがたくさんあります。今は、漢方の基礎について、日本語と英語でまとめた書籍を製作中です。東洋思想や漢方の知識、また健康に必要な話を一冊にまとめて、世界中の人に伝えられるようにしたいと思っています」
伝統を想いとともに受け継ぐこと
リノベーションによってモダンな印象となった薬局内を見回すと、いくつもの古いものに囲まれていることに気がつきます。飴色になった木の椅子や、ノスタルジックなオーディオだけでなく、薬を包むための分包機や計量サジなど、味わいのあるものが点在しています。
「漢方に限らず、身の回りには受け継いだものがたくさんあることに感謝しています。今着けている腕時計は祖父のだし、指輪は祖母のものです。出張先で座る椅子は、祖父が残した箱椅子です。受け継いだものには、何だか嘘が無くて使っていて気持ちが良い。僕自身もいつかは受け渡す側にならなきゃいけないから、ちゃんと次に渡せるようにしたいと思うようにもなりました」
漢方そのものが実践の積み重ねであるなら、先祖代々、実践で得た叡智を次の世代に伝承していくこともとても大切なことのようです。伝統や考え方を循環させて、より良いカタチへと変換させ、新鮮な状態で世の中に巡らせていくこと。格朗さんの仕事は、世界の淀みを無くし、詰まったものを取り除き、そうして綺麗になった場所に小さな炎を灯していくような温かみに満ちたものがあります。
「物でもそうですけれど、どこまで愛せるかっていうところが大事なのかなと思います。現代では特に、ボロくなったら交換すればいい、捨てて買い直せばいいという風潮が目立ちます。体も同じで、痛みが出たら薬で止めればいいという考え方が主流だし、現代では大きな手術をすれば臓器だって交換出来ちゃう。もちろんそれも大切な治療方法ですから、現代では併用することがベストです。でもやっぱり、大病をしてからだと戻れないこともあります。だから、大切な洋服の手入れをしたり、綻びを早めに直すのと同じで、可能な限り自分の体に愛着を持ってメンテナンスをすることが大事だなと思います。
本当にみんなが心身ともに健康でいられたら、どれだけ世界が平和になるかってよく考えます。健康の語源は、『健体康心』という熟語なのですが、健やかな体と康らかな心、という意味です。WHOが提唱する『ウェルビーイング』も同じで、社会的肉体的精神的に健康であることって書いてあります。つまりは、単純に体だけじゃなくて、自分が活躍出来る場所とか、生きていて充実した社会にいるっていうことも含めて、ウェルビーイングと呼ぶことを、私たちはもっと意識したいですよね」
格朗さんが2019年に上梓した書籍『鎌倉・大船の老舗薬局が教える こころ漢方』。イライラする、落ち込んでいる、眠れないなど、細かな不調別に合う漢方を紹介。また、漢方の考え方についても、わかりやすく書かれている
漢方家
杉本格朗
すぎもと・かくろう 1982 年生まれ。1950 年創業の漢方杉本薬局代表。大学で染色や現代美術を学び、2008年に実家の漢方杉本薬局に入社。2021年に、表参道・GYREの4Fにあるeatrip soil内に出張相談所「杉本漢方堂 Soil」を設立。漢方の長い伝統と奥深さに触れ、店頭での漢方相談を主軸に、生薬の薬効、色、香りの研究をしている。漢方の視点から世界の文化を理解し、暮らしを豊かにする活動をライフワーク としている。坂本龍一氏主宰のイベント「健康音楽」、「逗子海岸映画祭」などでワークショップやイベントを展開。漢方を日本の文化の一つとして、JAPAN HOUSEやThe Japan Foundation など、海外での講演も行っている。また、漢方の枠を越えて、生薬を使ったインスタレーションを制作するなど、様々な分野で幅広く活動。漢方監修としてG20大阪サミット「配偶者プログラム」、温泉宿「SOKI ATAMI」などに携わる。著書には『鎌倉・大船の老舗薬局が教える こころ漢方』がある。 https://sugimoto-ph.com/ Instagram @sugimoto.ph @sugimoto.ph_soil