宇宙へ開く扉。たゆまぬ探究心の先にあるもの(前編)

若田光一

Text: MIKI SUKA
Photo: JUN YASUI(eight peace)

昨年、5度目となる宇宙滞在から帰還をしたJAXA宇宙飛行士の若田光一さん。幼少期から持ち続けた夢を28歳で実現させ、宇宙飛行士に採用されてから30年という長きにわたるキャリアの中で、数々の日本人初の快挙を果たしながら最前線で有人宇宙開発に携わってきました。ブルースーツに身を包み、微笑みと情熱を湛えた“和”の心の持ち主は今、どのような宇宙の未来を見ているのでしょうか。

偉業を成した日本人宇宙飛行士

“宇宙”という言葉は、未知への探究や深い謎に満ちあふれています。でも次第にその宇宙から、少しずつ未来のカケラや希望の光が私たちの元にも届けられています。2023年3月、国際宇宙ステーションから帰還したJAXA宇宙飛行士、若田光一さんの活躍はまさに、地球に暮らす私たちに注がれた、宇宙や未来を知る為の光の筋となりました。

 

若田さんは5度に渡る宇宙飛行を体験し、その滞在期間は累計約504日。日本人として初めて国際宇宙ステーションの建設に携わり、その後も日本の実験棟「きぼう」を組み立て、さらに船外実験用プラットフォームをロボットアームで取り付け完成させました。’22年10月から’23年3月の宇宙滞在では多くのトラブルに見舞われる中、様々な実験と、設備のアップグレードを精力的にこなしました。帰還後は、米国テキサス州ヒューストンのNASAジョンソンスペースセンターでの活動を経て、現在はJAXA筑波宇宙センターにて勤務にあたる若田さん。穏やかな佇まいの中に秘められた情熱の炎は、28歳で宇宙飛行士に選ばれた瞬間の喜びとともに、60歳を迎えた今も変わらず鮮やかに燃え続けています。

「私と宇宙の間にあるのは1枚のバイザーだけ。宇宙服を着て船外活動に出てISSの最先端で作業をしながら、この巨大な人類の科学技術が生み出した拠点の果てにいるんだ! ここから手を離すと飛んでいってしまうようで怖いな! という興奮がありました。眼前に広がる広大な宇宙の臨場感の中、美しい地球を見ながらの作業でした。遠くを見ると月や星々が私たちを呼んでくれているような、導いてくれるような感覚にもなりました。そして、太陽の光を浴びてキラキラと輝く国際宇宙ステーションの美しさと巨大さ、この宇宙の中に人間が作ったものが定常的に飛んでいるのだという、人類の技術の素晴らしさに驚嘆させられる光景でした」

宇宙で活躍する人間の手

若田さんが初めて宇宙へ行った1996年から、世界の宇宙開発はものすごいスピードで進化を遂げています。失敗を繰り返しながらも、着実に前進を続ける人間の科学技術力は、宇宙という舞台を借りて私たちの日常を未来へとシフトさせているのも事実です。

 

「スペースシャトルで3度、ロシアのソユーズ宇宙船、そして今回のクルードラゴン宇宙船。その度ごとにそれぞれの機体も進化し続けています。クルードラゴンは高度に自動化が進んだ最新鋭の宇宙船です。打ち上げの瞬間、ISSに近づいていくランデブーやドッキング運用、すべてに全自動化が進み、宇宙船内のクルーによる手動操作が全くなくても宇宙へ往還できる状態になっています。おかげで宇宙飛行士は休養十分でISSに着くことができますから、到着後はただちに実験などの作業が始められるんです」

宇宙開発では、最新鋭のオートメーション化やAI機能に助けられる反面、人の手でなくてはならない部分が必ずあると、若田さんは言います。

「ヒューマンエラーがないオートメーションは、ルーチン化している作業にはとても優れていてより安全で合理的、コストを下げることにも繋がります。でも逆に、これから行く月や火星では、初めて行うシステム操作が多く、予期せぬ事態もあり、やはり最初は人の手動による操作が必要。想定外のトラブルに遭遇したとしても、それをリアルタイムで解決できる能力は、人間こそが素晴らしいものを持っていると思います。総合的な視点で状況を把握してミッションの安全な遂行のための究極的な選択や大規模な計画変更を行ったり、例えば実験装置にしても人間がちょっと修理するだけで直ったりするようなことが多々ありますので、やはり人間にしかできないこと、人間が行う方が合理的な作業は今後も続いていくと思います。いかに宇宙探査活動が進んでいったとしても、人間が行くということが目的であれば、生身の人間がやる仕事がなくなることはなく、地上での日常生活と同様、人間がAIやロボティクスといかに共存していくかが持続的な人類の宇宙活動の鍵になると思っています」

“和”の精神で互いに手を取り合うこと

宇宙船という限られた時間と空間の中、ミッションを成功させていく上で、若田さんは人と人との繋がりや、ともに思いやる“和”の大切さを掲げてきました。日本人初のISSコマンダー(船長)を経験した際も、思いやりの精神で各国のクルーをひとつにまとめただけでなく、日本人である彼の人望や仕事の細やかさに、世界中の宇宙関係者たちからの信頼も厚かったと言います。

 

「ISSのシステム運用のほとんどは、実は地上管制局のチームがやってくれています。宇宙のISS上で衣食住をともにする宇宙飛行士同士はコミュニケーションが取りやすいのですが、地上管制局チームとの信頼関係を維持していくことこそ、実は重要なんです。世界各国の地上管制局にいる仲間と綿密に連絡を取っていく仕事は、今でこそ日常に溶け込みましたが、究極のリモートワークですよね」

軌道上のISSでは世界各国の宇宙飛行士が共同生活をしながら、ISSの各国の実験室などのモジュールの機能を最大限に活用し、様々な実験やISSの各システムのメンテナンスなど多岐に渡るミッションが日々行われています。参加各国が協力して建設を行ったISSは、国籍や生まれた背景、言語、宗教を超えた「人類」のチームが手を取り合って共同作業をする場所なのです。それは地上で様々な地政学的な紛争が生じている現在でも変わりません。

 

「’13年から’14年の間、半年間の宇宙滞在をした際の後半にISSコマンダー(船長)を担当しました。その時、地上では地政学的な問題がありましたが、私と一緒に仕事をしていたのはロシアとアメリカの仲間でした。この時、地球人として宇宙で協力をしていくことの価値や重要性を再認識しました。このような問題があったとしても宇宙での協力を絶やしてはいけない、その価値を共有できていることが素晴らしいと感じていました。その中で日本が科学技術創造立国として、重要な役割を果たしているということにも、すごく誇りを感じています」

循環が人の命を繋いでいく

宇宙船は、いわば小さな小さな地球。若田さんたち宇宙飛行士は、地球人として手を取り合って、数々のミッションを乗り越えていきます。大きな地球に暮らす私たちは、そんな彼らの取り組みから気づかされることも多くあります。宇宙空間でのサスティナブルへの取り組みや、限られた資源の使い方などについても、昨今注目が集まっています。

 

「宇宙船は地上生態系の循環の縮図のようです。人類が持続的に生き延びていく為にやらなければいけないことは明確。それは、二酸化炭素排出を抑えること、そして再利用をしていくということです。ISSでは、そこで得られるものを最大限に活用し、使えるものは何回も使っていくという考え方のもと、様々なシステムが構築されています。

 

例えば、水と空気がそのいい例です。宇宙では飲み水を飲んだ後、尿や汗として排出される水分を再び飲み水に変えています。空気中に蒸発した汗は温度を下げて凝結させ、それを尿と一緒に蒸留し化学的な吸着を起こすなど様々な方法を使って水を再生していく技術があります。水に関しては、現時点で約95%をISS内で再利用しているんです。

さらに、その水を水素と酸素に電気分解して、我々が呼吸に必要な酸素を作ります。現在、人から排出される二酸化炭素は吸着してISS船外に廃棄していますが、その二酸化炭素を、酸素を作るために水から電気分解され副産物としてできた水素と化合させることによってもう1回、二酸化炭素に入っている酸素だけを取り出し、最後に出るメタンのみISS船外に廃棄するサバティエというシステムも実際に使用されている時期もありました。さらに今後はこのメタンを宇宙機の姿勢をコントロールする姿勢制御用ジェットの燃料として利用する事も計画されています」

 

ISSから出るゴミや廃棄が必要なものは、物資補給機により大気圏で焼却処分されます。ISSには、システム運用に欠かせない機器や実験装置、宇宙飛行士の生活物資などの輸送を担う「こうのとり」などの無人の物資補給機が定期的に送り届けられていますが、この補給機はISSに物資を届けた後、帰路ではミッションが完了した実験装置や、廃棄が必要なゴミなどを積んでISSから離脱し、大気圏突入時に燃え尽きて焼却されるという方法です。

「今後我々が月面で持続的な探査活動を進めて行く時、資源の再利用とともに重要なことは地産地消。その地域で採れたものを地元で食べるということは、今多くの自治体が進めていますが、月の場合は月産月消になりますね。エネルギーも同様で、例えば月にある水をロケット燃料として使えれば、さらに遠くの火星に行くこともできるし、JAXAが民間企業と研究を進めている有人与圧ローバーという月の上を走る車の燃料もやはり、月にある水を活用していくことを前提として研究が進められています。水ですから、当然リサイクルができるわけです」

 

 

後編に続く

JAXA宇宙飛行士

若田光一

わかた・こういち 1963年生まれ。埼玉県大宮市出身。九州大学工学部航空工学科卒業、同大学院工学研究科修士課程を修了し、日本航空株式会社にエンジニアとして入社。1992年に、宇宙開発事業団(現JAXA)が募集した宇宙飛行士候補者に選抜される。1996年日本初のミッションスペシャリストとしてスペースシャトルに搭乗。2000年日本人の宇宙飛行士として初めて国際宇宙ステーション(ISS)の組み立てミッションに参加。2009年日本人として初めてISS長期滞在ミッションを行う。2010年日本人として初めてNASA管理職(宇宙飛行士室ISS運用部門チーフ)に就任。2014年に日本人初となるISSコマンダー(船長)を務める。2023年、5回目の宇宙から帰還。宇宙総滞在時間は累計約504日。JAXA宇宙飛行士グループ長、JAXA・ISSプログラムマネージャー、JAXA理事を歴任し、2020年よりJAXA特別参与、宇宙飛行士として任務を継続中

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