創作のアイデアは、
DNAとバランスから生み出されている

Text: KATSUMI WATANABE
Photo: RIKI YAMADA

アクアスキュータムがブランド誕生から170周年を迎えた今、改めて「続けること」と「続くこと」を考えるインタビュー連載。時代の変化に寄り添いながらも、確固たるアイデンティティを守り、育んできたアクアスキュータム。その価値観に共鳴するクリエイターたちに、「続けること」と「続くこと」の意味を数珠繋ぎに問いかけていきます。今回、CONY PLANKTONさんからご紹介いただいたのは、自身の楽曲はもちろん、映画のサウンドトラックやCM音楽なども手がけているミュージシャンのUCARY & THE VALENTINE(ユカリ・アンド・ザ・ヴァレンタイン)さん。モデルとしても活動し、オリジナリティのあるコーディネートが注目されるUCARYさんのクリエイティビティの源泉を辿ると、両親から受け継がれた精神が垣間見えました。

Q: まずは音楽の原体験から伺いたいと思いますが、お父様がレコードコレクターだそうですね。

 

父はものすごくオタク気質で、レコードジャケットはビニールにきれいに入れて保存しているんですが、特に好きなものは普段聴く用と保存用の2枚買っています。鉄のケースで発売されたP.I.L.の『Metal Box』(1979年)のレコードや、実物のジッパーが付いた、アンディ・ウォーホルデザインのローリング・ストーンズ『Sticky Fingers』(1971年)も、きれいな状態のストックがありましたね。レコードはたくさんあるけど、よく父が家で聴いていたのはクラッシュやトーキングヘッズ、ジミー・クリフなど。子供の頃からロンドンやNYのパンク、ジャマイカのレゲエを聴いていましたが、どちらかというと今の私の好みにぴったりで(笑)。母はクイーンやポップスが好きで、わかりやすいメロディやきれいな音色を好む傾向は、きっと母からの影響だと思います。

Q: ご自分で音楽を作るようになったのは?

 

小学校くらいから「お腹が空いた時の歌」とか、遊びのような歌は作っていましたが、中学校2年生くらいで、ちゃんと曲を書いてみようと思ったんです。それで中学3年生の時、お年玉からちょっとしたお小遣いまで、一年間お金を貯めてシンセサイザー KORG R3を買いました。高校生でバンドを組んだ時に、シンセでベースラインを作り、その上にメロディをのせて曲のベーシックを作り、ギターの子にフレーズを考えてもらっていました。その頃はデッド・ケネディーズやGAUZEといったハードコアパンクが大好きで、自分たちもそのつもりでしたけど、私は速いビートが得意ではないので、ゆっくりしたテンポでやっていたんです。ライブをやっているうちに、ニューウェイヴ・バンドと呼ばれるようになっていました。

自らネイルアートを描いているというUCARYさん。「指先を“キラン!”とさせたくて。以前は医療用にも使われている瞬間接着剤でスワロフスキーを付けていましたが、今は自分でキラキラしたマークを描いています」。そんなDIYに対するこだわりを、初めてお母さんと一緒に銀座を訪れた際に見つけた「世界で一番美味しい」モンブランを頬張りながら語る

Q: それが2009年頃ですよね? すぐにデビューも決まったそうですが、経緯を教えてください。

 

すごくラッキーだったんですけど、1度目のライブをレコード会社の方が見ていてくださって、2度目のライブではなんと7社も集まって驚きました。その後、最初のライブを見ていた会社の方が焼肉に連れて行ってくださって、東京のライブをブッキングしてくれるという話になったんです。しかし、いざ東京へ行ってみると通常のライブではなく、社内の所属レーベルを決めるお披露目会的なもので、会場には大人しかいないんですよ。ものすごく腹が立って、1時間の予定でしたが、6分の1曲だけ演奏して舞台から下りたんです。案の定めちゃくちゃ怒られたんですけど、当時のレコード会社の会長さんだけ「(姿勢を含め)パンクでカッコいい」と褒めてくださいました。実はバンドのデビュー前に、メンバー間に亀裂が入ってしまい悩んでいる時があったのですが、その時も会長が「ひとりでもいいからおいでよ」と声をかけてくださって、上京することにしたんです。

Q: 2011年にソロユニットUCARY & THE VALENTINEを始動されましたが、ビジョンはあったんですか?

 

その頃は「ポップスが一番パンクやな」と感じていたんです。自分にとってのパンクを突き詰めて考えた時、ブロンディのデボラ・ハリーの存在が浮びました。悪そうだけど、お金持ちそうで、どこか憎めない。どこか上品なパンクという人に私もなりたいなと思ったんですよね。

 

Q: 2016年にはメジャーを離れ、自主レーベル・ANARCHY TECHNOを立ち上げられますね。

 

全員から反対されたんですけど、「多分、うまくいきます!」とか言って辞めましたね(笑)。作品制作はもちろん、商品や進行管理もすべてひとりでやっているので、なかなか大変です。曲を作っていると「まだいける、まだいける」と、良いものを目指すあまり、着地点(締め切り)が伸びていってしまう。その反対に、曲がいきなりできることもあって。そんなことがある度に、音楽配信会社の担当者さんに迷惑をかけちゃうんです。通常、配信でも発表2ヶ月前から準備などをするんですが、「なんで突然言うの!」と、怒られますね(笑)。今年の初頭に発表した『aiaiaiai』を出した時にも、そんなことがありました。そこは直していかなければいけないと反省しながら、現在もリリース予定のEPを作っている最中です。

Q: ANARCHY TECHNOのホームページでは、ご自身で制作されたアクセサリーも販売されていますね。

 

ビーズを使ったアクセサリーを最初は趣味で作り始め、30本ほど出来上がったので、ライブの物販で置いてみたところかなり好評だったんです。私は音楽が基本なので、あくまでもビーズ作りは趣味です。好きなものを作って売っているので、現状維持で良いかなと思っています。

Q: ビーズを長年集めていらっしゃるそうですね。

 

今年30歳なんですけど、もう27年間くらいビーズを集めているんです。母が働いている手芸屋さんでは、1930年代から’70年代くらいに製造されたガラス原料のチェコビーズという、珍しいものを扱っているのですが、それがすごくきれいなんですよ。なかでもお気に入りなのが、アレキサンドライトというウランのもの。日光に当てると、光の反射で紫色からピンクに色が変わるガラスです。クラブなどにあるブラックライトに、ものすごく発光するような素材なんです。ひと粒大体800円から1000円くらいかな。素材にこだわる分少し高めなんですけど、原価で販売しています。一度、ビーズ屋さんから「価格がおかしい(安過ぎる)ので、上げてください」というメッセージをいただいたことがありました。一度購入してくださったようで、実際に見て査定してくださったようです。見る方が見ればわかる、大変嬉しいご指摘です(笑)。

アクアスキュータムのコートは長年の憧れだったというUCARYさん。「パンクはもちろん、ザ・ジャムのようなイギリスのモッズバンドにも憧れがあるので、彼らが着ているコートには憧れがありました。今日はいきなり雨が降ってきましたが、本場・ロンドンにいる気分になり、ある意味ラッキーでしたね(笑)。雨をはじきながら、通気性も良いのが最高です。いつかカムデンやソーホーなど、ロンドンの街でも着てみたいな」

Q: ファッション的な影響もご家族から受けたんですね。

 

父は出版社のデザイン部門で働いていました。大阪はぶっ飛んだ人が多いので、とにかくオリジナルにこだわる。そんな人向けの雑誌があったら面白いというので、若者向けのカルチャー雑誌を立ち上げてしまうほどでした。母はずっと手芸をやっていて、小さい頃から刺繍する姿を見ていました。家には服が有り余るくらいあり、小さい頃から着なくなった服をもらっては、その生地から服やカバンを作っていたんです。パンクの影響もあり、中学1年生の頃はSEDITIONARIESの服が欲しかったんですけど、欲しいと思うものは当然手に入らなくて。好みに一番近かったのが、Martin MargielaやHELMUT LANG。一生懸命お金を貯めて買っていました。母が持っていたモード系の服も好きでしたが、私はまだ身長が低くて着こなせなかったので、近所のリサイクルショップでTシャツを買ってきてはリメイクしたりしていました。その精神は未だに宿っていて、現在も手作りのものは必ずどこかに身に付けていて、古着やブランドものを混ぜてレイヤードしていますね。

Q: 音楽からアクセサリーまで、制作が同時進行で大変かと思いますが、UCARYさんにとってのクリエイティブの源はどんなものでしょうか?

 

子供の頃から何か作っていないと気が済まない性質なので、学生時代から結構忙しいんですよ(笑)。昔から映画を見た後に物語が思い浮び、それを元に楽曲を制作することが多かったんです。制作に没入していると、今度はアクセサリーのアイデアが思い浮かんで作り始める。だから、相互に影響を与え合っている感じですね。それから旅や移動も重要です。現在は関西に拠点を置きながら、ライブや仕事で東京へ来るような生活を送っています。関西では山の上にある実家に住んでいるのですが、車の音や人の大きな声など、東京では当たり前に耳にしていた音ですが、今はそれが少し怖いくらい。でも自然が豊かな場所ばかりにいるのも、ちょっと疲れてしまう。田舎と都会を往来する、現在の生活がちょうど良いかなと思っています。

Q: バランスを取ることが重要なんですね。

 

そうですね。2年ほど前から、念願だった映画音楽の仕事に恵まれて制作しています。これも昔からよくやっていましたが、Blu-rayなどで映画を再生し、消音したモニターを観ながらシーンごとに音楽をつけていたんです。これは本当にやっておいて良かったと実感しました。ひとりでの制作と並行し、昨年バンドを結成したんですがこれがまた楽しくて、今後は活発に活動していきたいと思っています。振り返ると、ブランドものと古着、関西と東京、音楽とアクセサリーなど、私はバランスを取りながら何かを作ると、どんどん繋がり、続いていっているような気がします。

クラシカルなアクアスキュータムのコートに、アディダスのハイテクライン・ADIMATICを絶妙に合わせたUCARYさん。「クラシカルなものには、現代的なデザインやカラーリングをコーディネートしたい。私はスニーカーが好きで、以前は70足ほど持っていて、スニーカー専用の部屋もあったほど。今度はクラシカルなコートに、VANSなどのスケートファッションをコーディネートしたいですね」

アーティスト

ユカリ・アンド・ザ・ヴァレンタイン

1992年兵庫県生まれ。シンガーソングライター、トラックメーカー。17歳で始めたバンド・THE DIMで作詞作曲、ボーカルを担当。2011年に東京へ拠点を移してソロ名義 UCARY & THE VALENTINEを始動し、ミニアルバム『TEENAGE JESUS』(2012年)を発表。2016年に自主レーベル・ANARCHY TECHNOを立ち上げ、アルバム『Human Potential』(2018年)を発表。EP『Rescue』(2020年)を配信リリース。現在はソロプロジェクト以外にも、くるり、銀杏BOYZ、the HIATUS、木村カエラなどアーティストのゲストボーカルやバックコーラス、アレンジャーとしても活動し、映画音楽やCM音楽も制作している。9月には待望の新曲をリリース予定。Instagram @ucary_valentine

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