世界中どの街にも、心の拠り所のような場所がある

Text: SHINGO SANO
Photo: ANNA MIYOSHI(TRON)

アクアスキュータムがブランド誕生から170周年を迎えた今、改めて「続けること」と「続くこと」を考えるインタビュー連載。時代の変化に寄り添いながらも、確固たるアイデンティティを守り、育んできたアクアスキュータム。その価値観に共鳴するクリエイターたちに、「続けること」と「続くこと」の意味を数珠繋ぎに問いかけていきます。今回、谷尻直子さんにご紹介いただいたのは、銀座で「一冊の本を売る本屋」を営む森岡書店の森岡督行さん。本屋を続けてきた理由や、一冊の本から生まれるコミュニケーションの面白さについて聞きました。

Q: 谷尻直子さんからのご紹介ですが、森岡さんも谷尻さんのお店に行かれたことはありますか?

 

もちろんあります。文字通りひと手間を惜しまずに作られたお料理と、それに合わせて出される器の数々に感動して、とても素敵な時間を過ごさせていただきました。そこで谷尻さんが金継ぎを手がけられていることを知り、後日改めて、私自身も金継ぎを体験させていただきに伺いました。自分の好きなことに向き合って、それを仕事にされている姿勢が素敵だなと思っていたところ、谷尻さんの考え方を『HITOTEMAのひとてま』という本にされるということだったので、森岡書店で出版記念イベントを開催させていただきたいと、私のほうからオファーさせていただきました。その際に、自分で割って自分で金継ぎした食器も販売したんですが、その過程で、傷が魅力になるということを実感することができて、良い体験ができました。

Q: 森岡さんはそもそもどういった経緯から本屋さんで働き始めたんですか?

 

1998年に神保町の一誠堂書店に入社したんですが、もともと神保町という街が好きだったというのは大きな理由のひとつです。当時神保町の路地裏で見つけてとても印象に残っているのが、壁に貼ってあった評論家・森本哲郎さんの言葉で、「六本木や新宿のような街は、世界中のどこにでもあるが、これだけ本と本屋が集まっている街は神保町しかない。それだけで東京は文化都市と言えるのではないか」というものでした。

20歳前後の頃、神保町で古本を買って、それを喫茶店で読むという生活を続けているうちに、何となく神保町で働きたいという気持ちが芽生えていきました。ちょうどそんな頃に、第二次世界大戦について調べていると、真珠湾攻撃当日に発行された朝日新聞に、「古本買います」っていう一誠堂書店の広告を見つけました。戦争の真っ只中でも、古本を売ったり買ったりしている人がいるんだなって感銘を受けていたら、それからほどなくして、たまたま広げた朝日新聞に、今度は一誠堂書店の求人広告が掲載されていたんです。60年近く時を隔てて、同じ朝日新聞に同じ書店の広告が出ているのを目にして、不思議な縁を感じたこともあり、入社試験を受けました。

Q: 一誠堂書店に8年間勤められましたが、老舗古書店での仕事はどのようなものでしたか?

 

私がやるのは、落丁がないか調べたり、不要な書き込みがあれば消したりと、単調な作業ばかりでした。毎日どさっと本が山積みにされて、それを一日かけて、1ページずつ調べていくんです。本に触れながら、本のことを学ぶ修行の時代ですね。それが自分にはすごく合っていました。

森岡書店が店を構える鈴木ビルは、1929年に建てられた歴史ある建物。世界大戦中に発行された対外宣伝誌『NIPPON』の編集を手がけた編集プロダクションとして有名な、名取洋之助率いる日本工房の後進の国際報道工藝が事務所を構えた場所としても知られる

Q: それから独立されて、2006年に茅場町で森岡書店を立ち上げられましたが、どういった経緯から独立されたんですか?

 

当時茅場町にあった古美術うちだというお店に行ったら、そこが閉店するっていうお知らせが貼られていたんです。とても古いビルなんですが、すごく雰囲気が良くて、漠然と「この場所で古本屋ができたら良いな」って思えたんです。それまで独立するなんてことはあまり考えていなかったんですが、「この場所であれば」って、独立してみたいという衝動が生まれました。

Q: 茅場町は証券の街ですが、新天地でのビジネスはすぐにうまくいきましたか?

 

最初は全くうまくいかなくて、「もう終わりだな」って諦めかけていた時に、知り合いから「雰囲気は良いお店だから、ギャラリーでもやったら?」とアドバイスをいただきました。確かに、神保町であれば、ただ待っていてもお客様はやって来ますが、そもそも古本を探して茅場町に来る人はいないので、ただ良い本を良い空間で売っているだけで、お客様が来てくれるようになるわけではありませんでした。そこでギャラリーとして写真展などを開催してみると、次第にいろんなところからいろんな方が集まってくれるようになっていきました。

Q: そして2015年に銀座へと移転して、新たに「一冊の本を売る書店」というスタイルで森岡書店をリニューアルされました。非常に挑戦的なコンセプトですが、そこに至った経緯は?

 

茅場町で写真集などの新刊の出版記念イベントなどを定期的に開催していくようになると、何となく、新刊一冊だけを売る店にしても成り立つんじゃないかと思うようになったんです。茅場町のお店が10年目を迎えるタイミングで、じゃあ次の10年にはどんな挑戦をしようと思った時に、ちょうど今の場所に空き物件が出たんです。サイズ的にもちょうど良いし、リニューアルを決意しました。

Q: 新しい森岡書店で販売される本は1〜2週間周期で変わり、年間で50冊以上の本を取り扱われています。どのように販売する本を選んでいるのですか?

 

最初のうちは、それこそ谷尻さんの本のように、こちらから販売させてくださいとお願いすることがほとんどでしたが、最近はいろんな方々からお声がけいただくことが増えたので、取り扱う本の幅もだいぶ広がりました。東京の地場産業として出版があり、その豊さに支えられているという感覚もあります。出版不況とか、書店の経営難の話を耳にしますが、ある種の出版は、とても盛り上がっていると思います。東京アートブックフェアにも足を運んでいますが、老若男女が長蛇の列をつくって、自分たちが作った本を売り買いしている光景を見ていると、紙媒体の未来は明るいとさえ実感させられます。

Q: あらゆるものがデジタル化されていく世の中で、これからの書店の役割はどのように捉えていますか?

 

世界中、どこの街にも、人々の心の拠り所や、週末に集まる場所があります。例えば、ニューヨークにはヤンキースがあり、ストランド・ブックストアがある。パリにはパリ・サンジェルマンFCがあり、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店がある。野球の試合がなくても週末にはボールパークに人々が集まり、書店では朗読会や、ワークショップや、ライブが行われている。そういう意味で言うと、どれだけデジタルの役割が広がったとしても、その分だけ書店に通う習慣は今後もなくならないと思います。

Q: 森岡書店に人が集まってくる様子を見ていると、それも自然と納得させられます。茅場町のお店は開店からしばらく苦労が続いたそうですが、一冊に絞った今の森岡書店は、想定通りに続けてこられましたか?

 

ここまで続けてこられたのは、本当にお店に来ていただくお客様に恵まれていたなと思っています。もちろんコロナ禍の経営は大変でしたが、ふらっと本を買いに来たり、出版記念イベントに遊びに来てくれたり、日々新しい出会いがあるなかで、作家やスタッフ、家族のサポートに支えられてこれまで続けてこられました。

森岡さんが事務所を構える奥野ビルもまた、昭和初期の雰囲気をそのまま残す銀座の名建築のひとつ。1932年に高級アパートとして建設され、民間の建物では日本で初めてエレベーターが備え付けられた。現在も手動開閉式エレベーターが使われている

Q: 森岡書店の経営だけではなく、ご自身でも本を書かれたり、プロデュースに関わったりするなど、ご活躍の幅がどんどん広がっています。それはご自身で意図してきたことですか?

 

それも森岡書店に来てくださる方々からいろんなお声がけをいただくなかで、自然と広がっていった仕事です。最初は本屋としての自分しかいませんでしたが、今では本や書評を書く自分や、プロデュースの仕事をする自分など、自分のなかにいくつかの自分がいて、ある時は本屋の自分が執筆家としての自分を支え、ある時は執筆家の自分が本屋の自分を支えている。そういう感覚を抱くようになりました。

Q: 伝統と最先端の文化が交錯する銀座の街ということも相まって、トレンチコートが非常にお似合いでした。普段からトレンチコートを着られることはありますか?

 

ステンカラーコートはよく着るんですが、実は今回、ダブルのトレンチコートは50歳にして初体験なんです(笑)。ステンカラーのコートはどんな時も軽い気持ちで着られるんですが、ダブルでエポーレットも付いているようなカチッとしたスタイルだと、ちょっと着るのに気合が必要だなって思っていたんです。でも撮っていただいた写真を見てみると、もっと早くから着れば良かったなって、今更ながら後悔しています。

上:一誠堂書店での修行時代、毎日繰り返した落丁チェックの作業を実演してみせる森岡さん。5ページずつめくりながら、ノンブルとの誤差がないか高速で確認していく 下:森岡さんの事務所にあるテーブルの上には、江戸時代に銀座の銀貨幣発行所で発行されていた銀貨が置かれていた

Q: こんなにお似合いなのに、意外ですね。これを機に、今後はチャレンジできそうでしょうか?

 

考えてみれば、ベージュのトレンチコートは、それこそいろんな映画の主人公が着ている姿を見て昔から知っていました。『カサブランカ』のハンフリー・ボガードみたいに、ビシッとタイドアップで合わせたトレンチのウエストを、ベルトでキュッと締める感じはいつ見てもカッコ良いですよね。それと、『ティファニーで朝食を』で、ジョージ・ペパードとオードリー・ヘップバーンが雨に濡れながら言葉を交わすシーンも記憶に残っています。50歳から始めるトレンチコート、いろんな愉しみ方ができそうですね。銀座のバーテンダーでトレンチコートに詳しい方がいて、以前にその人から、トレンチの出自やディテールについてはいろいろ教えてもらいました。それで「買うならどこのトレンチが良いんですか?」と聞くと、彼からアクアスキュータムを勧められました。自分の信頼する人から直接聞いた情報っていうのは、ちゃんと自分のなかで血肉化されるんですよね。森岡書店でも、ひとつの本を囲んでお客様同士が情報交換をしながら、コミュニケーションが深まっていくのを見ているのはとても幸せです。

Q: 最後に、今回改めてトレンチコートという普遍的なアイテムに触れてみて、何か感じたことがあれば教えてください。

 

戦争を含めて、歴史のなかで形作られたトレンチコートっていうものは、ファッションとかクリエイティブの表現のように時代によって変化していくものよりも、生活に寄り添う工芸に近いものだと感じました。ハサミとかペンのように、およそ100年前に必要とされる機能が最適化された形として、今のトレンチコートがあるように思います。

「モノトーンのスタイリングにベージュのコートを合わせる感じは前から好きなんです」と語る森岡さん。ボタンを下まで留めてトレンチコートの構築的なシルエットを活かしながら、足元には何年も愛用しているというスニーカーを合わせてモダンな印象にまとめた

森岡書店店主

森岡督行

もりおか・よしゆき 1974年山形県生まれ。森岡書店代表、文筆家。著書に『800日間銀座一周』(文春文庫)、『ショートケーキを許す』(雷鳥社)など。聖心女子大学で5月27日(月)から開催予定の「子どもと希望」展のキュレーションを担当。Instagram @moriokashoten

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