好きなこととの出合いが、自分だけの未来を切り拓いていく

Text: SHINGO SANO
Photo: SODAI YOKOYAMA

アクアスキュータムがブランド誕生から170周年を迎えた今、改めて「続けること」と「続くこと」を考えるインタビュー連載。時代の変化に寄り添いながらも、確固たるアイデンティティを守り、育んできたアクアスキュータム。その価値観に共鳴するクリエイターたちに、「続けること」と「続くこと」の意味を数珠繋ぎに問いかけていきます。今回、HOOKED VINTAGE(フックド ヴィンテージ)の安藤小葉さんからご紹介いただいたのは、ファッション・美容の専門学校、名古屋モード学園で校長を務める吉田光孝さんです。同校の学生からアパレルメーカーを経て、教師の道へと進んだ彼が、学生たちに伝えたいことについて聞きました。

Q: HOOKED VINTAGEの安藤さんからのご紹介ですが、古着はよく買いに行かれるんですか?

 

HOOKED VINTAGEにもJANTIQUESにもよくお邪魔しています。古着も最先端のコレクションブランドも好きなので、いろんなものを組み合わせて楽しんでいます。でも安藤さんとか、それこそ内田さんと比べてしまうと、何もお話できることがないなぁと、このお話をいただいてからずっと悩んでいたんです。安藤さんはトレンチコートだけで30着以上持っているんだ。すごいな……って。そう思って僕の持っている服を見返してみたら、僕も同じような眼鏡を15年以上集め続けていたり、セントジェームスのボーダーシャツを50枚以上持っていたり、LEVI’S®︎のジーンズばかりを30本以上持っていたり、わりとおかしな偏りがあることに気付かされました(笑)。

 

Q: 「これにこだわっている」という自覚もないまま、無意識に同じものを何十年も使い続けているんですね(笑)。なぜ同じようなものをいくつも買われるんですか?

 

今日もかけているコルビュジエモデルの眼鏡はヴィンテージのもので、眼鏡はこれしかかけません。とにかく形もかけ心地も、コルビュジエも大好きだから、お店で見かけるたびに買い足しています。ボーダーシャツも毎日のように着るものだから、1年に2枚ずつぐらいのペースで買い続けていたら、いつの間にかこんなに増えていた感じです。毎日使うものだから増えていくっていうこともありますが、僕の場合は、特にそのアイテムの背景にある歴史やストーリーに共感して、そればかりを使い続ける傾向も強いです。例えば、このボーダーシャツは、海の波の形をもとにデザインされたもので、海を愛するノルマンディの船乗りたちが着ていたもの。だから海の色と同じ青いボーダーなんだっていうことを聞いてから、僕もそんなふうに意味のあるものを、誇りを持って着られる人になりたいと思ったことが着始めたきっかけです。このエーデルワイス柄のバンダナも、高く険しい山に咲くエーデルワイスには「勇気」という花言葉があると聞いて、気が小さくて自信を持てない自分にはぴったりだと思い、長年お守りのように使い続けています。

Q: そもそもファッションを好きになったきっかけはなんですか?

 

僕は母親を早くに亡くして父子家庭で育ったこともあり、父親にはよく「男世帯だからこそ、常に身なりには気をつけろよ」と言われて育ちました。父親自身も、いつもちゃんと仕立てたスーツの上に、それこそトレンチコートをビシッと着て、毎日仕事に出かけていました。僕も中学校一年生ぐらいになると、自分が着る服は自分のお年玉やおこづかいを貯めて買っていたんですが、ほかの同級生たちは、親から与えられた服を言われるがまま着ていましたから、僕の服装はほかの人と比べて、当時の子供たちの感覚に合ったものだったと思うんです。それで、ある時女の子が僕の着ているパーカを見て、「可愛いの着てるね」と言ってくれたんです。当時の僕はなんの取り柄もない子供で、人に褒められた経験なんてなかったから、その一言がすごく嬉しかった。小学校の時から、祖母が教頭を務めた学校に通っていたこともあり、周りからは常に「あそこのお孫さん」っていう高いハードルで見られるんだけど、僕は勉強もスポーツもなにひとつ満足にできなくて、周りの期待に応えられないことにコンプレックスを感じていたんです。そんな僕でも、自分で選んだ服を人から褒めてもらえたことで、ちょっとだけ自信が持てたんです。そんな経験もあって、どんどん洋服が好きになっていきました。

左:セントジェームスのボーダーシャツは、4から7のサイズ違いや色違いで、集めた数は50枚以上。その時々の気分によって、選ぶサイズ感が変わってくる 右:エーデルワイスの花がプリントされたバンダナも、スイスで購入したものを中心に色違いで20枚以上所有

Q: ファッションを仕事にしたいという意識はいつ頃に芽生えましたか?

 

高校生の頃からあって、進学のタイミングでそういう学校に行こうかどうか悩んだんですが、当時はまだ洋服の世界で男性が生き残っていくのは簡単なことではない雰囲気があったし、周りの人からも、田舎者のお前には難しいんじゃないかって言われて、一度は諦めて別の学校に進学したんです。でも全然学校には行かず、名古屋の服屋さんでバイトをしながら、夜遊びばかりしていました。その時期に、名古屋のファッションや音楽界隈で活躍している先輩たちから影響を受けて、やっぱりファッションの仕事がしたいと思うようになりました。でも、どうすればその道に進めるのかもわからない状態で、相変わらずフラフラしていたある日、電車のなかで高校の同級生とばったり再会して、自然と就職の話になったんです。そうしたら、彼は「ファッション業界に就職が決まった」と言うんです。「なんでそんなことができたの?」と聞いたら、「そういう学校に通ってたからだよ」と。それが、名古屋モード学園だったんです。僕は全然学校に行っていなかったから就職もできなくて、毎日悩んでいた時期だっただけに、学校で夢と出合い、その実現に向けて前進している彼のことを、ものすごく羨ましく思いました。

この日はトレンチコートとのコーディネートに合わせて、ジョンロブのモンクストラップシューズをチョイス。普段は基本的にヴァンズのオーセンティックなど、カジュアルなキャンバスシューズが好み

Q: それで名古屋モード学園に入学したんですか?

 

はい。20歳の時に。ただ当時は、僕と弟を男手ひとつで育ててくれた父親が、重い病気にかかってしまい何年も入退院を繰り返していた状態でした。当然、あまり裕福な家とも言えないし、弟もいるので、また別の学校に行くことは正直躊躇していたんです。でも、ちょうど社会復帰を果たした父親は、進路に悩む僕を見て「親としてやってあげられることがあるとしたら、それは学校に行かせてあげることだから、行きたいところがあるなら行きなさい」と言ってくれたんです。それで名古屋モード学園への入学を決めたんですが、当時はみんな18歳で入学してくるのが普通です。すでにいろんな先輩たちと夜遊びをして、なんでも知っていると思い込んでいた僕は、相当生意気な学生だったと思います。若いからプライドも高いし、地方から出てきたばかりの年下の同級生とは、なかなか仲良くなろうとしませんでした。そんな僕を救ってくれたのが、モード学園の先生がかけてくれた、「お前は自分で変わろうとしない限り、このまま一生何も変わらないよ」という痛烈な一言でした。その言葉によって僕は、このままじゃいけないって思えたし、本当にファッションを仕事にしたいのであれば、ちゃんと学校でやれることに向き合って、一つひとつ頑張らなきゃいけないなと思うようになったんです。なにより、真面目に取り組んでいない自分よりも、毎日一生懸命に頑張っている年下の同級生のほうが、よっぽど魅力的だしカッコいいって思えたんです。

花柄のジャケットは、ヴィヴィアン・ウエストウッドやサヴィル・ロウで経験を積んだデザイナーによる、新しいロンドンのビスポークブランド、ペイリー・マンディのもの。手仕事による刺繍が美しい

Q: そうやって何かと真剣に向き合うきっかけが得られたことは、とても貴重な経験ですね。その後の学校生活はどうでしたか?

 

正直、それまでは学校なんていう場所はあまり得意じゃなくて、毎日通うのがイヤでしょうがなかったのに、真剣になればなるほど、どんどん学校が楽しくなっていきました。さらに先生は、キャラじゃないのに僕を学級委員にしたんです。でも、できることもできないことも、常に前向きに取り組んでいくうちに、だんだん「自分でもやればできるんじゃないか」と思えるようになりました。そして卒業の時には、それまで賞なんてもらったこともなかった僕が、リーダーとしてグループを引っ張り、卒業制作展でグランプリを受賞することができたんです。ちょっと大げさかもしれませんが、その時に、本当にその気になれば、人生なんて自分の思うように作り上げることができるんだって、本気でそう思いました。なんの取り柄もなかった僕が、好きなことに出合えて、それに本気で向き合うことができるようになったことは、本当にラッキーなことだったと思います。

Q: 教師の道に進まれたきっかけは?

 

モード学園を卒業した後はメンズアパレルメーカーにMDとして就職し、プロとして働きながら、卒業生講師としてたびたび母校の教壇にも立つようになりました。そんなことを数年間続けていくうちに、いつの日からか、教師という仕事にも強い魅力を感じるようになっていました。モード学園には「ゼロからプロに」という考え方が根底にあって、創設者である谷まさる先生の言葉にも「誰にでも可能性があると信じて、諦めない教育で、すべての学生が夢と出合い、夢を実現することができなくてはいけない」というものがあります。僕も20歳を過ぎてどうにもならないような状況から、この学校で夢と出合い夢を実現できたことで、「ゼロからプロ」を実体験として目の当たりにしたひとりです。だから僕は、学生たちに自分次第で夢と出合い夢を実現できることを伝えたいと強く思ったんです。

「父親はトレンチコートのボタンを上まで留めてベルトもきゅっと締めるか、ボタンをすべて開けてベルトは後ろに垂らすか、そのどちらかの着方にこだわっていました。それが大人の男の美学みたいで、とてもカッコ良く見えたんです」と吉田さん

Q: 今は校長としてご活躍されていますが、世に送り出された卒業生は5,000人以上と伺っています。教育の現場では日々どんなことを意識されていますか?

 

学生たちにいつも言っているのは、いろんな経験をしてほしいということ。それは良い経験も、辛い経験も、できたこともできなかったことも含め、経験をすれば自分が好きなことや苦手なことも見えてくるから、そこから将来の夢が生まれたり、自分の生き方を見つけられたりすることも珍しくありません。世の中にはいろんなタイプの人がいるから、自分ができなくても必ず誰かが補ってくれます。だから自分ができないことで勝負する必要は全くなくて、とにかく自分が好きなこととか、得意なことを伸ばしていくべきだと思っています。ついなれない自分を想像しがちだけど、自分のダメな部分を直そうとするよりも、自分の得意分野を伸ばしたほうが、よっぽど成功への近道になると思うんです。僕は目が悪くて眼鏡だし、こんなに髭が濃いし、ぽっちゃり体型だけど、自分の好きなファッションと向き合い続けたことで、そういう自分のネガティブだと思っていた部分も、逆にほかの人にはない個性として昇華できるようになりました。プロになっても、スタイリストからカメラマンに転向したり、コレクションデザイナーから靴職人に転向したりと、いろんな経験を通して、自分の得意分野を新しく見つけていく人はたくさんいます。だからいくらでもトライアンドエラーができる学生時代は、気になることがあれば全部経験してほしいと思っています。

Q: 自分に似合うものも、とにかくいろんな服を着てみなければわからないですよね。吉田さんはそうやってトライアンドエラーを繰り返すうちに、自分のスタイルの根幹となるボーダーシャツや丸眼鏡にたどり着いたんですよね?

 

そうですね。ジーンズも今ではLEVI’S®︎しか履きませんが、時代の雰囲気に合わせて流行りものも一通り試してみるようにはしています。自分のスタイルも大事ですが、それに固執してしまうとすぐに面白くなくなってしまうので、常に新しい感覚も取り入れていけるほうが良いですよね。それは50年以上続くモード学園にも、170年の歴史を持つアクアスキュータムのようなブランドにも言えることで、伝統はそのまま守るだけではなくて、今の時代に生かしていくことも重要だと考えています。僕の父であれば、トレンチコートはタイドアップしたスーツスタイルにビシッと合わせるところですが、僕はその美学をリスペクトしながら、もっと今の自分の気分に合った着方を探してみます。そうすることで初めて、スタイルは時代を超えていくことができるからです。特にトレンチコートには、厳格な父の影響もあって、ちゃんとした大人が着ているものというイメージがありました。僕ももうすぐ50歳で大人ではあるのですが、やっぱりスーツではなくて、もっと自由で気軽なスタイリングで楽しみたいんです。

Q: ファッションを学ぶ若い学生たちにとって、そういう歴史の部分はどのように受け取られていると思いますか?

 

モード学園では、服飾の歴史を学ぶファッション史は非常に重要な授業のひとつです。ただ過去のことを学ぶことが大事なわけではなくて、歴史を学んだ上で、今をしっかりと見ていれば、自然とその先のことを予測することができるということなんです。過去を見ることは、そのまま未来を見ることにも繋がると思っています。学生たちもデザインの背景にあるものや歴史については、非常に興味を持っていると思います。トレンチコートも背景にいろんなストーリーがあるから、それを学ぶことでインスピレーションを受けて、トレンチコートの概念を分解して、自分なりのデザインに再構築することもできます。学生たちには、とにかくいろんなものを見て、触れて、経験していくなかで、自分の好きなものに出合えるような学校生活を送ってもらいたいと、心からそう願っています。

100年以上の歴史を持つトレンチコートに身を包み、未来のファッションを創造する東京モード学園の近代的な校舎の前に佇む吉田さんの姿は、「歴史を今に生かし、未来へと繋げる」という彼の言葉を体現しているよう

名古屋モード学園 校長

吉田光孝

よしだ・みつたか 岐阜県生まれ。名古屋モード学園ファッションビジネス学科卒業。メンズアパレルメーカーを経て、名古屋モード学園教務部に就任。現在は東京・大阪・名古屋のモード学園の独創的なカリキュラムの革新に従事。また、様々な企業とコラボレーションする産学連携や、業界のトップによる講義などを推し進め、次世代を担うクリエイター育成の為、自らも日々教鞭を振るう

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