ジャンルを超えて融合する、スリリングな空気感を纏う

Text: SHINGO SANO
Photo: SIO YOSHIDA

アクアスキュータムがブランド誕生から170周年を迎えた今、改めて「続けること」と「続くこと」を考えるインタビュー連載。時代の変化に寄り添いながらも、確固たるアイデンティティを守り、育んできたアクアスキュータム。その価値観に共鳴するクリエイターたちに、「続けること」と「続くこと」の意味を数珠繋ぎに問いかけていきます。今回、フォトグラファーのシトウレイさんからご紹介いただいたのは、昭和の名横綱・千代の富士を父にもち、東京を代表するファッションアイコンとしても知られている秋元 剛さんです。秋元さんが1990年代から見てきた東京のファッションシーンの移り変わりと、自身の着こなしやもの選びのこだわりについて聞きました。

Q: 秋元さんのお父さまは、昭和の名横綱である千代の富士関ということは有名ですが、秋元さんご自身は、これまでどういったお仕事をされてきましたか?

 

自分には3つ上の姉と1つ下の妹がいるのですが、姉が読者モデルをやっていたこともあり、10代の頃からファッションが身近にありましたし、いろんな人と出会う機会が多かったので、自然とファッションの道に進んだという感じです。服飾専門学校の文化服装学院を卒業した後に、少し期間を開けて、25歳の時に『commons&sense』というモードファッション誌に就職して、営業や編集として5年間働き、パリコレの取材にも行かせていただきました。その後アパレル会社に転職して、セレクトショップのPR周りや、ディレクション的な部分を担当させていただいていたんですが、ちょうどその時期に父が他界したこともあり、一旦自分の仕事はお休みして、父の肖像権や権利関係の管理・運営を行う会社を家族の中心になって立ち上げました。今年の2月には、旧九重部屋を改装してちゃんこ料理のお店をオープンしたのですが、稽古場で土俵を眺めながらちゃんこ鍋が食べられます。相撲ファンでなくても楽しめるお店になっていると思います。

Q: 今もファッションシーンで活躍されているイメージですが?

 

その家業が少し安定してきたタイミングで、知人のブランドの展示会にお邪魔した際に、PR周りの仕事を手伝ってほしいと相談を受けたことから、フリーでPRの仕事を始めました。今では数ブランド担当させていただいていますが、それ以外にもスタイリングやキャスティング的な仕事をいただくこともありますし、割と幅広くファッション関係の仕事をしています。シトウレイさんとは共通の友人を介して知り合って、昔からよくスナップを撮ってもらっていました。最近も何度かシトウさんのYouTubeチャンネルにゲストとしてお呼びいただいたりして、仲良くさせていただいています。

今回インタビューを行ったのは、秋元さんがよく知人と利用している渋谷の紹介制バー・サロン射干玉(ヌバタマ)。店内では’80〜’90年代のランウェイショーの映像が流れており、ファッション系の顧客も多い。自家製の漬け込み酒も人気

Q: 昭和の名横綱の長男というと、世間からは角界への道も期待されていたのでは?

 

父親が当時の貴花田関に敗れて引退を決めたという経緯から、世間には千代の富士の息子が相撲取りになって、父の雪辱を晴らすという夢物語があったようで、将来お相撲さんになるのは当たり前のことと思われていました。世間からの期待がすごく嫌だったので、物心つく頃には相撲自体にあまり興味が沸かなかったし、相撲以外の道に進みたいと漠然と考えるようになりました。父も名横綱と言われるほど数々の記録を残した人だけあって、その大変さも知っているから、本人にやる気がないところで無理矢理やらせても意味がないということを、誰よりも理解していたと思うんです。だから強制されることもなく、まず自分のやりたいことを尊重してくれていました。

Q: それで自然とファッションの道に進まれたんですね。10代の頃はどういうファッションが好きだったんですか?

 

自分たちの世代は、まだギリギリ裏原ブームの雰囲気を体感できた世代で、その頃流行ったものはひと通り見てきました。ちょうど青文字系の雑誌も流行っていたから、マルイに入っているようなドメスティックブランドもすごく盛り上がっていた時代ですよね。当時、原宿にあったイエロールビーというセレクトショップが好きで、そこはスケーターのカルチャーもありつつ、モードっぽいブランドもありつつっていうミックス感が良かったんですよね。今もスケーターじゃないのにVANSのスニーカーばかりを履いているのは、その頃に受けた影響が強いんだと思います。今でこそ、ストリートとモードの融合って世界中のブランドがやっていることですが、当時の東京にはすでにそういう感覚のお店がたくさんあって、すごく刺激的な時代でした。

Q: ハイファッション誌の編集部に入ったきっかけは?

 

2000年代になってからは、原宿とか渋谷に海外のインディペンデントなブランドを扱うセレクトショップが増えていって、自分も自然とそういうシーンのなかに入っていきました。その頃一番影響を受けたのは、スタイリストのニコラ・フォルミケッティが手がけていたサイド バイ サイドというセレクトショップ。ラフォーレ原宿の2.5階にあって、ロンドンから出てきた新進気鋭のブランドを中心に紹介していて、どんどん海外のカルチャーやファッションにのめり込んでいきました。ニコラはその時期に日本で創刊した『VOGUE HOMMES JAPAN』の立ち上げメンバーで、そこで働いていたエディターやスタイリストたちにも知り合いが多かった。でも仕事をするならもう少しプライベートと距離がある環境が良いと思って、親交のあった『commons&sense』の編集長に働かせてもらいたいと連絡をして、2度の面接を経て編集部で働かせてもらうことになったんです。

極太のレイヴパンツに合わせたのは、VALENTINOのカシミヤニット。エッジの効いたストリートとエレガントなモードが融合した、秋元さんらしさあふれるスタイル

Q: 2000年代のファッションシーンは、どんな印象でしたか?

 

’90年代と違って、自分も20代になっていたので、その時期は特に印象に残っていますね。今でこそファッション業界は開かれたポピュラーな世界になってきたと感じますが、当時はまだ、限られた人にしか開かれていないクローズドな業界だった感じがします。入り口はすごくエクスクルーシブなんだけど、でも一旦そのなかに入ると、渋谷系も、原宿系も、ギャルも、ストリートも、モードも、ゴスも、’90年代までははっきりと分かれていた、いろんなジャンルの人たちがごちゃごちゃにミックスされていて、みんな良いよねって、垣根のない自由な空気感が好きでした。今はもう閉店してしまいましたが、青山にあったル バロン ド パリとか、渋谷のトランプルームとか、毎日どこかでパーティがあって、派手な人たちが集まっていて、そこに顔を出せば、必ず誰かがいるっていう時代でしたね(笑)。

眼鏡はウェリントンタイプとキャッツアイタイプの2種類から、着る服のテンションに合わせてチョイス。時計は左が自分で購入したパテック フィリップ、右が父親から譲り受けたカルティエ

Q: 外出する時に必ず身に着けるものはありますか?

 

時計とジュエリーは必ず身に着けています。最近は眼鏡も欠かせないですね。特に時計は、実際スマホだけでも十分ですが、時間を知らせるアイテムを身に着けているっていう行為自体が結構自分のなかでは大事なのかもしれません。自分は、仕事でもプライベートでも、人との繋がりとかコミュニケーションで成り立っている部分が大きいと感じていて、約束の時間を守るということが、すごく大事なことだと思っているんです。待ち合わせに3分遅れそうな時に、3分だけだから連絡をしないのか、3分でも遅れるなら連絡をするのかって考えた時に、自分は後者でいたいんです。その意識を大事にする為にも、腕時計は常に身に着けるようにしています。

Q: 腕時計もたくさんお持ちですね。なかでも気に入っているものは?

 

この丸いカルティエの時計は、父から譲り受けた『バロン ブルー』っていうモデルで、父は身体も大きいし腕も太かったので、フェイスが大きくボリュームのあるデザインの時計を多く所有していて。それでも、エレガントでお洒落なものが好きな人だったんですよね。この時計も自分の腕には少し大きいのですが、大ぶりなフェイスの割に厚みがなく、エレガントなフォルムがブレスレット感覚で身に着けられて気に入っています。パテック フィリップの『カラトラバ』は、たまたま自分の生まれ年のモデルを見つけて、そんなこと滅多にないですし、その年はなんだかんだ仕事を頑張ったし、何かと理由をつけて結構奮発して2021年末に購入しました(笑)。でも昔に父と一緒に自分の生まれ年の時計を探していた時期があったんですけど、自分が生まれた年代はちょうどデジタル時計全盛の時代で、全体的に機械式時計の個体数自体が少ないっていうことを聞いていたから、余計にですよね。パリの石畳をイメージした“クルー・ド・パリ”っていうベゼルのデザインも気に入っています。

Q: 今日はアクアスキュータムのコートを着ていただきましたが、トレンチコートは普段からよく愛用されていますか?

 

トレンチコートは今日も着ているようなダブルのデザインが好きで、10着以上は持っていると思います。10代の頃は大人が着るものというイメージがありました。所有しているトレンチのなかで思い入れが強いのは、故オオスミタケシさんが手がけていたフェノメノンのもので、スケバンみたいなロングプリーツが入っている、くるぶし丈のフルレングスのトレンチコート。それを着ていたらみんなからよく褒められて、ようやくトレンチコートが似合う歳になったんだなと思った記憶があります。そこからは、自分のなかでも好きなアイテムとしてトレンチコートを集めるようになって、気になるデザインのものが出てくると、積極的に買うようになりました。

Q: トレンチコートだけでも10着以上となると、ワードローブがすごいことになっていそうですね。もの持ちは良いほうですか?

 

洋服を大切に扱うタイプなので、もの持ちはとても良いです。買い物も一生大切にしたいという気持ちで購入するので、一度手に入れたものは基本手放しません。そうしていると、どんどん増えていってしまいますよね(笑)。最近はミニマリストとか、断捨離とか、ものをなるべく持たないっていうライフスタイルが流行っているじゃないですか。自分も真似して、「心がときめくものだけを残す!」なんてやってみても、結局どんなに頑張っても2〜3着ぐらいしか手放しても良いかなと思えるものは出てこないんです。だって、ときめいたから買っているわけじゃないですか(笑)。どれも適当な気持ちでクローゼットに迎え入れているわけじゃないんです。

Q: 今日の着こなしのポイントは?

 

自分はベーシックでエレガントなだけでなく、デザイン性の高いアイテムが好み。着こなしでヒネリやニュアンスを加えるのも好きなので、今日のトレンチコートもあえてオーバーサイズを選びました。それを’90年代っぽい極太のレイヴパンツに合わせつつ、ウエストと袖口のベルトでシルエットをマークしたっていう感じですかね。最後にスカーフを巻きスカートにアレンジしたアイテムを肩からかけて、アクセントを盛り込んでみました。やっぱりベースのデザインがクラシックで本物だからこそ、こうやってアレンジした時に存在感が出るんですよね。ファッションブランドのトレンチコートもたくさん持っていますが、やっぱりボタン、ベルト、チンフラップ、シェイプなど、ディテールの作り込みは、アクアスキュータムみたいなオーセンティックなブランドにはかないません。レイヴパンツみたいなエッジの効いたデザインも好きだけど、それをロンTとかで合わせたらまんまストリートになってしまうから、トレンチコートとか、今日もなかに着たタートルネックニットとか、なるべくシンプルで上質なアイテムと合わせて、あくまできれいめに着こなしたいですよね。そういうハイとローのミックスが、昔から好きなスタイルでもあるので。

「トレンチコートの着こなしは、男性よりも女性のスタイリングを参考にすることが多い」と語る秋元さん。ストリートとモード、クラシックとモダンの垣根を超えて、自由な発想でファッションを楽しむ姿勢が共感を呼ぶ

ディレクター・PR

秋元 剛

あきもと・ごう 1985年東京都生まれ。日本発インターナショナルファッションマガジン『commons&sense』の広告営業と編集を経て、都内セレクトショップのディレクターとして活動した後、2018年に亡き父の功績を後世に伝えるべく、千代の富士に関わる様々な企画・運営を行うAKIMOTO Inc.を家族とともに設立。ファッション業界でもPR、キャスティング、スタイリングなどを通してマルチに活動中。Instagram @go_akimoto

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