Q: 荒木さんとはスタイリストアシスタント時代からのお知り合いとのことですが、初対面の瞬間は覚えていますか?
27〜8年くらい前だから、具体的には覚えてませんね。ただ当時は、「スタイリストとは何か?」ってことも定まってなかった時代で、アシスタントの数も今より少なかったんですよ。だから、ドラフト1位みたいなアシスタントしかいなかった。熊谷(隆志)さんのところにいた三田(真一)くんとか伊賀(大介)くんとか、独立後も一線で活躍し続けている人だらけ。そういうなかで、「こいつ大丈夫かな」って雰囲気だったのが、荒木(笑)。だからこそ、すごく気になる存在で。そういうところから仲良くなっていったんじゃないかな。
Q: では、同業者として見た時、スタイリストとしての荒木さんの個性はどこにあると思いますか?
個性かどうかわからないけど、仕事との向き合い方が真面目で実直ですよね。そこは僕なんかが努力しても追いつかないレベルなので、尊敬しています。
Q: その人間性は、荒木さんのスタイリングにも表れていると思いますか?
今もなお、スタイリストとして活躍しているということは、どこかに表れているんだと思います。
今回撮影場所に選ばれたのは、梶さんが最近通い始めたという料理教室・ABCクッキングスタジオ。まだ得意料理と呼べるほどのものはないが、これまでほとんどなかったキッチンに立つという行為が、身近になりつつあるそう
Q: そんな荒木さんは専門学生時代にアシスタントになったと言っていましたが、梶さんはいつ頃スタイリストを将来の職業として見据え始めたんですか?
大学1、2年ぐらいかな。昔から、普通のサラリーマンになるって選択肢は考えてなかったんですよ。両親はふたりともアパレル関係の仕事だったし、親戚にも編集者とかカメラマンとか表現にまつわる職種の人が結構いたから、だったら洋服かなって。消去法ですね(笑)。
Q: 洋服関係の仕事としては、ショップ店員という選択肢もあったと思うんですが、どうしてスタイリストだったんですか?
洋服屋さんは向いてないというか、自分はそういうキャラクターじゃないって気がしたんですよ。そんな時、たまたまスタイリストをやっている先輩がいて、手伝いに行くとお金をもらえて、「これ、仕事になるんだ」と知った感じです。ただ、それはアシスタントといっても友達みたいな関係だったし、先輩も定期的に仕事をしているわけではなくて。大学の卒業も近いしどうしようかなって時に、すでに顔見知りだった二村(毅)さんにばったり道で会って、聞かれたんですよ。「誰かアシスタントに良い奴いないか?」って。それで色々考えた末に自分で志願しました。その時だと思います、スタイリストになろうって意思を固めたのは。
梶さんと言えばドジャースのキャップでお馴染みだが、同チームの熱烈なファンではないという。「何に関しても熱中はしないタイプ。もちろん、好きなものはたくさんあるけど、あんまり深くは探らず、“なんとなく”が自分にとっては心地良いんです」
Q: アシスタントは何年やられたんですか?
1年半もやらなかったんじゃないかな。もちろん、独立を決めたのは僕ではなく二村さんでしたが。
Q: 異例の早さで独立されたわけですね。アシスタント期間はご自身にとってどんな時間だったと思いますか?
面白い日々ではなかったかもしれません。大変でしたから。でも、辞めたらこの業界にはいられないとは思っていました。今だったら師匠のところを辞めて、別の誰かに付くっていう選択肢もあるんでしょうけど、そういう時代でもなかったですから。だから、とにかく辞めちゃダメだってことくらいかな、毎日考えていたのは。
Q: その後、独立して、仕事はすぐに軌道に乗ったんですか?
別にそういう意識はないです。正直なところ、今もまだ成長過程だと思っていますから。僕の場合、そもそも時間がかかるだろうなとは思っていたんですよ。傲慢に聞こえてしまうかもしれないけど、洋服との距離感も含めて、自分のスタイリングがわかりやすいとは思ってなかったので。例えば、僕の根本には、ライフスタイルとしてのファッション……って言うと簡単な言葉過ぎるけど、まず生活があって、そこに洋服があるって考え方があるんですね。だけど、独立したての頃は、もっと洋服にフォーカスしたスタイリングが主流だったので、自分のその価値観をどう馴染ませていくのか、どう理解してもらうのかって考えると、長い作業になるなって。
Q: これまでずっと、その価値観の伝え方を試行錯誤されてきたと。
模索はしてきましたよね。途中、スタイリストをやりつつ、全く異なる職業で自分を知ってもらったほうが早いのかなと思ったこともありますから(笑)。
Q: 最近、梶さんは文章の個展を開かれたり、映画の上映会を主催したりしていますが、これも試行錯誤の一環なんですか?
そうですね。ただ、形はどうあれ、すべてスタイリストの活動に戻ってくるとは思っています。さっきも言ったように、僕がスタイリストとしてやりたいことは伝わりづらいという自覚があるんです。だから、やれることは全部やって、最後にスタイリストとして僕がやりたいことがわかってもらえたら良いなって。
Q: スタイリストという仕事やファッション自体を、嫌いになった瞬間はありましたか?
いつも嫌いになりそうだった気はする。世間で良いとされていることが自分にはわからなかったから。でも、逃げたくないとも思っていました。それは結局、理由はよくわからないけど僕が洋服が好きだから。そっちが常に勝っていたからだと思う。
ブラックデニムと黒のパーカーにトレンチを合わせた梶さん。「冬は黒を着がちなんですよ。せっかくの撮影だし色があるものを着ても良いかなと思ったんですが、朝起きた時に何か違う気がして。自分の着るものに関しては、その日の気分を大事にしています」
Q: 初期衝動としてのファッションに対する愛が絶えずあったわけですね。では、スタイリングする上で、マイルールはありますか?
それはないかもしれない。積み重ねのなかで生まれたものはあるとは思うけど、この仕事はあくまで人と関わることだから。だから、絶対にこうじゃなきゃっていうのはないです。もっと言えば、デタラメで良いと思っている部分すらある。1週間前の自分と今日の自分では考え方が全然違うから、そのことに正直になって、やることをやれば良いのかなって。それくらいスタイリストとしてのキャラクターを作ってないという意識はあります。
Q: 例えばそれは、仕事をする人との関わりのなかで、当初に決めたビジョンとは違うものに仕上がったとしても、それをそれとして楽しむという感じですか?
それは本当にそう。そもそも媒体によって求められることは全然違いますから。そのなかに僕が入って発酵されることで生まれた何かを、楽しめればベストかなって思っています。
Q: 逆に言うと、それを楽しめるからスタイリストとして続けてこれたとも言えるんでしょうか?
そうですね。それがスタイリストだと思っています。そうやって楽しめる環境をずっと作りたかったんですよ。20年前は、ほとんど理解されなかったけど、今は世代交代も進んで、良い風が吹きつつある気がしています。だから、50歳を前にして、ようやくスタイリストとして始まりかけているのかもしれない。どうなるかわからないけど。でも、もし始まらなかったとしても、このまま70くらいまでは食らいついていきたいとは思っています。
トレンチコートを着た自分を鏡で見て、まず梶さんが思い浮かべたのは、アメリカのネオソウルシンガー、エリカ・バドゥだったそう。確かに、彼女は『Window Seat』の物議を醸したMVの冒頭で、パーカーの上にトレンチを羽織っている
スタイリスト
梶 雄太
かじ・ゆうた 1974年東京都生まれ。アシスタントとして二村 毅氏に師事した後、1998年からスタイリストとしてキャリアをスタート。雑誌、広告、映画など幅広く活動する傍ら、自身のブランド・SANSE SANSEのディレクターも務める。また、2022年に&AQのサイト内で連載していたショートムービー仕立てのストーリー「We are always with you」では、&AQのコンセプトから物語を生み出し、全11話を展開し話題を呼んだ。Instagram @yutakaji_