周りと差別化を図る為に見出した、引き算の極意

Text: KEISUKE KAGIWADA
Photo: SO HASEGAWA

アクアスキュータムがブランド誕生から170周年を迎えた今、改めて「続けること」と「続くこと」を考えるインタビュー連載。時代の変化に寄り添いながらも、確固たるアイデンティティを守り、育んできたアクアスキュータム。その価値観に共鳴するクリエイターたちに、「続けること」と「続くこと」の意味を数珠繋ぎに問いかけていきます。今回、雑誌『THE NEW ORDER』を手がけるジェームズ・オリヴァーさんからバトンを受け取ったのは、スタイリストとして20年以上のキャリアを誇る荒木大輔さん。群馬県前橋で生まれた荒木さんがスタイリストとして独立し、自身のスタイルを築き上げるまでの軌跡について、語っていただきました。

Q: ジェームズさんからのご紹介ですが、もともとはお仕事を通じて知り合ったのですか?

 

知り合ってだいぶ経つので、出会いはもう忘れちゃいましたが、たぶん仕事なんじゃないかな。だけど、僕らはもちろん、妻同士、子供同士も仲が良いので、今は家族ぐるみの付き合いをしている友人って感じです。しばらく会わなかったりするとなんだか寂しいといった関係です(笑)。コロナ前には、正月休みに彼の地元であるニュージーランドに家族揃って行ったこともあります。

Q: では、今日の撮影場所として使用させていただいた高円寺の古着屋・ROKUMEICANとのご関係は? 今年の5月にオープンしたばかりのようですが。

 

オーナーの岸田雅裕さんはもともと、ビームスで働いていたので、その頃からの付き合いです。プライベートで飲みに行くこともあるんですが、実はお店は今日初めてで、岸田さんのセンスはもちろん、インスタとかチェックしていて素敵なお店だということはわかっていたので、今回この機会をいただいて、みなさんにぜひご紹介をしたいなと思って!

Q: そういうことだったんですね(笑)。そもそもファッションに目覚めたのはいつ頃だったんですか?

 

最初は兄の影響ですね。兄の真似ばかりしていました。あと、地元は前橋なんですけど、当時はヤンキーとロカビリーが多くて、中学生くらいになると、どっちに行くかを迫られる分かれ道があるんですよ(笑)。別にロカビリーってわけでもなかったんですが、どっちかと言うとスタイルとして興味があったのはそっちだったので、アメカジとか’50sっぽい格好をしていました。まぁ、その頃からずっと、ベースはアメカジ的なものなんですけど。

Q: その後もファッションへの興味は途切れることなく持続していたんですか?

 

そうですね。高校生ぐらいの頃から、ファッション雑誌をよく読むようになって。漠然と洋服関係の仕事をしたいなと思い始めたんですね。それで進学したのが文化服装学院。まぁ、大学に行けなかったっていうのもあるんですけど(笑)。

ROKUMEICANを物色する荒木さん。店内には、オーナーの岸田さん自身が、アメリカ各地のスリフトショップのみを回って買い付けてきたアメリカンヴィンテージが並ぶ

Q: その在学中にスタイリストの熊谷隆志さんのアシスタントになったんですよね? どういう経緯だったんですか?

 

熊谷さんのアシスタントになりたいと思って、履歴書を持って毎日原宿をさまよっていたんですよ。そしたら偶然にもある古着屋に熊谷さんがいて。これは渡すしかないと、お店の外で待っていたんですが、熊谷さんも気付いて警戒していたらしく、全然出てこないんですよ(笑)。

 

Q: 熊谷さんからしたらちょっと怖いですもんね(笑)。結局、その日は渡せたんですか?

 

はい。かなり長い時間待っていたら、観念して出てきてくれたので。そのまま近くのカフェで面接をしてもらったのが12月だったかな。「ちょうど3月にひとりのアシスタントを独立させようと思っているから、3月からだったら良いよ」って言われて、3月からアシスタントになりました。

Q: その頃の熊谷さんは、雑誌で見ない日はないって時期だったと思います。アシスタントも忙しかったんですか?

 

めちゃくちゃ忙しくて、毎日辞めたいと思っていました。でも、今日辞めたら大変なことになるっていうのも、わかっているわけじゃないですか。スケジュールを把握しているので。だから、ちょっと落ち着いたタイミングで辞めようと思っていたんだけど、全然落ち着かなくて(笑)。

 

Q: 結果的にアシスタントは何年やっていたんですか?

 

4年ですかね。当時は2年くらいで独立するのがベーシックだったんで、驚異的な長さだと思います。でも、独立する当日まですっごい怒られていたんで、本当に独立できるのかなって思っていました。「独立祝いをしてやる」とは言われても、嘘だと思っていましたもん(笑)。会場として指定されたカフェに行ったらみんながいたんで、そこでようやく「あ、本当に独立するんだ」と実感できたという。

荒木さんのコーディネートはモノトーンが基本。この日もブラックのシャツに品の良いグレーのスラックスを着ていた

Q: 独立後はすぐに軌道に乗れたんですか?

 

今思えば良い時代だったんでしょうね。アシスタント時代にお世話になった編集部の方々から、独立祝いにお仕事をいただきました。

 

Q: 当時は、荒木さんを含めて、スタイリストの方が雑誌によく登場していた時代だったと思います。差別化を図る為の戦略などはあったんですか?

 

僕が独立した2000年代の頭の頃って、飛ばし気味というか、割と派手なスタイリングが主流だったんですよ。そんななか、僕はスケーターファッションのようなリアルクローズにこだわったスタイリングが好きでしたね。「これくらいさらっとしてて良くない?」「白Tで良くない?」って感じは昔から今も変わらず軸としてあります。戦略というか好きなスタイルでがんばる的な(笑)。

Q: 時代を先取りしていたわけですね。そういうスタイリングは、それこそ中学時代から好んでしてきたからこそ生まれたわけですか?

 

先輩たちがみんなトガったスタイリングをしているなかで、被らないようにするにはそこしかなかったんですよね。当時そこまで具体的に考えていたかわかりませんが、何となく引き算でやっていたら、うまくいったという感じですかね。今もそれは変わりません。もちろん、流行は意識しますよ。じゃないと、置いてかれちゃうので(笑)。でも、その時もバランスは大事にしています。盛り過ぎない、落ち着き感というか。

Q: スタイリストという仕事の醍醐味は何ですか?

 

撮影の仕上がりが良かった時はもちろんやりがいを感じますし、長期的に仕事をしているブランドだったり、アーティストさんや俳優さんだったりが、徐々に売れていくのを間近で見れたりする時も嬉しいです。

普段は足元まで黒でまとめるところ、この日はトレンチコートに合わせて、白いソールのスニーカーをピックアップしたと話す荒木さん

Q: そうやってスタイリストとして活動するなかで、一番印象に残っている仕事をひとつ挙げるとしたらどれですか?

 

なんでしょうね……あ、僕、ファレル・ウィリアムスをスタイリングしたことがあるんですよ。僕自身、ファレルの大ファンだったので会えただけでも嬉しかったです。

冬場はよくトレンチコートを着るという荒木さん。今回、シングルタイプを選んだ理由を聞くと、「ジェームズがダブルを着ていてカッコ良かったので、僕はシングルにしました」と笑う

Q: スタイリストのなかには、自分で洋服を作られたり、お店を始める方も多いと思います。そんななか、荒木さんはスタイリストであることを貫かれている印象がありますが、スタイリストにこだわる理由は何ですか?

 

特に理由はないんですよね。ただ、ほかの仕事をやる理由が今のところないので。

 

Q: では、その仕事の質を下げない為にしていることはありますか?

 

自分の足で洋服屋さんを回って、ちゃんと触って着て、お店の人ともコミュニケーションをとるってことですかね。スタイリングのインスピレーションも、お店の人との会話や、服自体から得ることが多かったりするので。

「ほぼカチッとすることがない」という荒木さんらしいカジュアルでベーシックなスタイルにも、トレンチコートはしっくりくる

スタイリスト

荒木大輔

あらき・だいすけ 1976年群馬県生まれ。文化服装学院卒業後、1997年にスタイリスト熊谷隆志氏に師事。2001年に独立し、以後メンズファッション誌、ミュージシャン、俳優、ブランドのルックブック等のスタイリングを幅広く手がけている。Instagram @arakid3

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