ダンスを通して自分の内なるスピリチュアリティを表現したい

Text: KEISUKE KAGIWADA
Photo: SHIORI IKENO

アクアスキュータムがブランド誕生から170周年を迎えた今、改めて「続けること」と「続くこと」を考えるインタビュー連載。時代の変化に寄り添いながらも、確固たるアイデンティティを守り、育んできたアクアスキュータム。その価値観に共鳴するクリエイターたちに、「続けること」と「続くこと」の意味を数珠繋ぎに問いかけていきます。今回、マイカ・ルブテさんにご紹介いただいたのは、ダンサーのCHIHOさん。日本人初のエレクトロダンサーとして活動し、世界大会での優勝経験もあるCHIHOさんに、踊ることにかける情熱について語っていただきました。

Q: CHIHOさんはマイカ・ルブテさんの『Inner Child』のMVで振り付けを担当されています。それ以前からふたりに交流はあったんですか?

 

いや、『Inner Child』のミーティングの時、初めてお会いしました。ただ、もともと私はマイカさんの音楽が大好きで、何かコラボできたらなとインスタにご連絡させていただいていたんです。そしたら、マイカさんが私のダンスをチェックしてくれて、「今度新しい曲が出るので、MVの振り付けをお願いできませんか?」とお返事があって。それが『Inner Child』でした。振り付けは私が作りましたが、あの曲にマイカさんが込めた想いは、私がダンスを通して表現したいことと近かったので、かなりやりやすかったですね。

Q: マイカさんのどのような想いに、親近感を覚えたんですか?

 

ダンサーなので、どう動いているかという外側にばかり着目されがちですが、本当はダンスを通して自分のスピリチュアリティを表現したいと思っているんです。そこが『Inner Child』に込められた、“内なる子供の開放”というメッセージに近いなと。

Q: ダンスを始めた当初から、そうした想いがあったんですか?

 

いや、それはごく最近のことですね。

「自分らしいかなと思って」と総柄のトレンチコートをチョイスしたCHIHOさん。なかに着たデニムジャケットの襟元には、ロシアの大会に出場した際にもらったmove and prove(大会名)のピンバッチが

Q: では、今日はその境地に至るまでのお話を伺えればと思います。まず、ダンスに目覚めたのはいつですか?

 

中1の時です。学内のダンス部に入部したのがきっかけでした。ギャルの先輩が多くて、見た目も可愛くて、楽しそうだったんですよ。当時は文化祭で踊ったり、県大会に出場したりしていました。

Q: すぐにのめり込んだんですか?

 

負けず嫌いな性格だったんでしょうね。入部したからには、学年で一番になろう、次は部内で一番になろうって練習に励んでいた気がします。中学2年からは学外のスクールにも通い始めたんですが、そうするともっとうまい子がたくさんいるじゃないですか。そうやって周囲に刺激を受けながら、向上心を育んでいった感じです。中高一貫校だったので、高3までは部活とスクールを両立していましたね。

今回の取材でお邪魔したのは、CHIHOさんが東京・西荻窪でパートナーと運営する、CREATIVE SPACE FUSION。子供から大人までが楽しめるダンススクールのほか、音楽イベントなども定期的に開催されている

Q: 高校卒業後の進路はどうされたんですか?

 

既にダンサーになりたい気持ちが強かったので、大学には行かず、ダンスの専門学校に進学しました。ただ同時に、渋谷のクラブに出演したり、バトルに参加したりもしていたので、だんだん学校が物足りなくなってしまって。中退して、1ヵ月くらいフランスに行きました。当時は、ヨーロッパのHIPHOPダンスシーンが黄金期を迎えていて、フランスはその中心だったので。ただ、フランス語はもちろん英語もあまり喋れなかったので、行ってみたはいいけど、ほとんど相手にしてもらえませんでしたね。それでも向上心だけはあったので、なんでも良いから結果を残そうと、地方のダンスバトルに参加して、一応優勝しましたが、7人くらいしか参加してなかったので……(笑)。

Q: その頃は、エレクトロではなくまだHIPHOPをやられていたわけですね。

 

そうですね。行って気付いたのは、当時のフランスではHIPHOPにポッピンというジャンルのダンスを混ぜている人が多いこと。それがカッコ良く思えたので、帰国後は世界的にもポッピンが強い大阪に引っ越して、ひとり暮らしを始めました。当初は、そこでHIPHOPとポッピンを混ぜた自分のスタイルを探りつつお金を貯めて、1年後にはフランスに留学する予定だったんですよ。だけど、大阪での生活がすごく楽しくて、気付いたら4年経っていました(笑)。そろそろヤバいなと、またフランスに行くことにしたのが、23歳の頃かな。今度は3ヵ月滞在しました。

Q: 4年も経つと、以前行った時とはまたシーンが変わっていそうですね。

 

かなり変わっていました。ただ、今回はありがたいことに、色々な出会いに恵まれて、HIPHOPカンパニーに入れてもらうこともできたんです。だから、この3ヵ月で終わるのはもったいないなと、今度はワーホリでまたパリに戻ってきました。

Q: ワーホリということは、どこかで働いたわけですか?

 

私の場合は、日本食レストランでした。そこで15時まで働き、終わったら練習に行くという生活を1年しましたね。休みの日には、バトルに出場したり、気になるイベントに顔を出したり。初めてエレクトロダンスを目にしたのも、そうやって訪れたイベントでのことでした。

Q: 初見の感想はいかがでしたか?

 

単純に面白いなって。例えば、エレクトロではダンスのなかに“あっち向いてホイ”を混ぜたりするんですよ。あとは、音楽に日本のアニメキャラの声がサンプリングされていたり、遊びの要素がある。すぐに自分でもやりたいと思ったわけではなかったんですが、ある日練習場に行くと、そのイベントに出ていた人がいて、みんなにエレクトロを教えていたんですよ。そこに混ぜてもらう形で、習い始めたんです。

Q: その後、HIPHOPよりもエレクトロのなかに、より追求したい何かが見えてきたんですか?

 

最初はHIPHOPのスタイルにエレクトロを混ぜて、自分のスタイルを作ろうと考えていたんです。だけど、当時はエレクトロダンスをやっている日本人がひとりもいなかったから、バトルに誘ってくれたり、コミュニティのみんながすごく応援してくれたんですよ。それでどんどんエレクトロに軸足が移っていった感じですね。

トレンチコートにはあまり馴染みがなかったと語るCHIHOさん。「私、寒がりなんですよ。でも、今回着てみたらトレンチって想像以上に暖かいし、めちゃくちゃ可愛いので今後チャレンジしてみたくなりました」

Q: そこから、世界チャンピオンになるまではどのような歩みだったのですか?

 

エレクトロダンスを始めたその年に、勧められて世界大会に出場しました。エレクトロの大会は初心者カテゴリーと女の子カテゴリー、それから男女ごちゃ混ぜのプロカテゴリーの3つがあって、最初に出たのは初心者カテゴリー。当時はまだエレクトロに振り切り過ぎてなかったので、見よう見真似だったんですよ。だけど、ベスト4になれたこともあり、もっと頑張りたいなと火がついて。同じ年の11月の大会では女子枠に出て準優勝したんですが、その時、女子枠で10年くらい勝ち続けているフランス人の子に言われたんです。「来年はCHIHOが勝つ番だから頑張って」って。そんなふうに言ってくれると、やる気も上がるじゃないですか。それでまた練習を重ねて、まずロシア大会で優勝し、その後フランス大会でも優勝することができました。こんなに優勝が続くのは人生初だったので、ロシア大会を終えた後、「これは日本でも広めていかないと!」とひらめいて、今に至る感じです。

Q: 現在はダンサーの傍ら、今回お邪魔したスペースでダンススクールを主催され、まさに日本でエレクトロを広める活動もされています。そんななか、これまでとダンスの向き合い方に変化はありましたか?

 

責任感が増えたのかな。仕事の内容にもよりますけど、ただうまくなる為に踊っていたアマチュア時代とは、そこが変わったと思います。大会に出るモチベーションにしても、昔は結果を残すことにすごいこだわっていたんですよ。それによって、ダンサーとしての自分の今後も決まったりするので。だけど今は、エレクトロをやる日本人も増えてきて、勝ち負けよりも大事なことがあるなと気付いた。それはコミュニティを支えるすべての人の気持ちだったりするんですけど……要するに、丸くなったというか、大人になったというか(笑)。

Q: そうした心境の変化を踏まえた上で、今後はどういうダンサーになりたいですか?

 

「ダンスをやってない時は自分じゃない!」と以前は思っていました。それくらい、スキルの向上だけに人生のすべてを捧げていたんです。だけど、フランス滞在中、それに疲れて、病んでしまって。そんな時に習い始めたのが、ヒーリングでした。ヒーリングに出合ってからは、自分の価値観が180度変わったんです。最初に言った、ダンスを通して自分の内なるスピリチュアリティを表現したいと思えるようになったのも、ヒーリングを通してなんです。その後、子供を授かることになったり、西荻窪のこのスペースで教えたり、自分のダンスへの時間のかけ方も変わってきているなか、勝ち負けではなく、もっと共存しながら地球と宇宙に対して貢献できることはないかなと、今は模索しているところです。だから、今後どうなりたいかをひと言で表現するなら、“魔女”になりたい(笑)。ダンスの力を使って、世界を変えていけるような存在になりたいんです。

ワーホリでフランスに滞在中、CHIHOさんは語学力向上の為、街中のお洒落な人に声をかけ、写真を撮るという活動をしていた。色鮮やかなファッションセンスは、その時に磨かれたものだそう ※着用しているコートは、アーカイブ商品となっているため、現在は購入できません

ダンサー

チホ

1993年神奈川県生まれ。中学生の頃からダンスを始め、HIPHOPを中心に様々なダンスジャンルに触れる。高校卒業後はダンスの専門学校に通いつつ、YouTubeでフランスのダンサーの動画を見たことをきっかけに渡仏。その後、エレクトロダンスと出合い、2018年にフランスの世界大会で優勝。帰国した現在は、日本にエレクトロダンスを広めるべく、レッスン等様々な活動を行なっている。Instagram @chiho_is_electro

CONTINUE