自分自身がびっくりできるものを、作り続けたい

Text: KEISUKE KAGIWADA
Photo: SHIORI IKENO

アクアスキュータムがブランド誕生から170周年を迎えた今、改めて「続けること」と「続くこと」を考えるインタビュー連載。時代の変化に寄り添いながらも、確固たるアイデンティティを守り、育んできたアクアスキュータム。その価値観に共鳴するクリエイターたちに、「続けること」と「続くこと」の意味を数珠繋ぎに問いかけていきます。今回、サクラ マヤ ミチキさんにご紹介いただいたのは、ミュージシャンのマイカ・ルブテさん。10月18日にミニアルバム『mani mani』をリリースしたばかりのマイカさんに、趣味から仕事へと変わった今も尚変わらないという、楽曲制作との向き合い方について聞きました。

Q: サクラ マヤ ミチキさんは、マイカさんが2019年にリリースした『Mountaintop』のMVにも関わられているそうですね。

 

そうなんです。彼女とは写真家で映像作家の中野 道くん経由で知り合い、コロナ禍以前はよく3人で遊んでいました。『Mountaintop』のビデオもその遊びの延長のような感じで、私、中野くん、マヤミチ、それから制作の方の4人で、シンガポールに行って撮ったんです。なぜシンガポールだったかというと、私がひたすら夜の街を走るってイメージがまずあって、「だったら無国籍感のある街が良いよね」「じゃあ、シンガポール行っちゃう?」みたいな……つまり勢いですよね(笑)。それで人手が足りなさそうだから、「マヤミチも行く?」って聞いたら「行く!」と言ってくれて。彼女は車の運転もうまいし、スタイリングの相談もできるから、本当に頼りになりました。よく覚えているのは、インド人街が近くにあるローカルな地区に泊まったんですけど、近所の面白いお土産屋さんにちびまる子ちゃんのパジャマが売っていたこと。たぶん偽物だと思うんですけど(笑)。テンション上がって、みんなで買ったんですが、あのパジャマを着たマヤミチの姿は忘れられません(笑)。修学旅行みたいでしたね。

Q: MVといえば、最新ミニアルバム『mani mani』収録の『Inner Child』のビデオでは、マイカさんが老婆の格好をしていますよね。あれはどういう意図だったんですか?

 

『Inner Child』は、歌詞とビデオのもととなるシナリオを同時に書いていたんですね。おばあさんの格好をした私が、公園でバースデーパーティをするというシナリオだったんですけど、妄想みたいなもので、お金もかかるし、実現不可能だと思っていました。だけど、曲が完成したタイミングで、スタッフの方に「ビデオは撮らないの?」と聞かれたのでそのシナリオを見せたら、意外と反応が良くて。それで撮ることになったんです。実は撮影日までに、歌詞は完璧にはできてなかったんですけど(笑)。でも、言い訳かもしれませんが、実際に自分がおばあさんになってみないと書けないというか、「おばあさんになってから書けば良いか」っていう思いがどっかにあったんですよね。実際、漠然と「大人になるにつれて抑えつけざるを得なくなった“自分のなかの子供”と向き合う」というテーマで書き始めた歌詞は、撮影を通して「自分もおばあさんになったらこんな風に動けなくなるのかな」という実感を得られたからこそ、完成したと思います。そこにはこの歌詞を書いている最中に、帝王切開で出産して術後に体が全く動かなくなるという経験も、反映されていると思うんですけど。

Q: 『Inner Child』にはその本編とは別に、マイカさんが披露するダンスを中心にした別バージョンも存在しますよね。これはどういった経緯で作られたんですか?

 

本編ビデオにエレクトロダンサーのチホさんという方が出演しているんですが、なんかすごい楽しかったんですよね、一緒に踊るのが。それで彼女に「もう少し振り付けを長くつけて一緒に踊ってみませんか」と勇気を出して声をかけたら快く引き受けてくれて。彼女のスタジオに遊びに行かせてもらったりするなかで、ほかの生徒さんたちも集まってきてくれたりして、一緒に作っていった感じです。

マイカさんの仕事場は、ガレージの奥にある。そこかしこにあるのは、引っ越してきて間もなく中古で買ったというシンセサイザーなど数多くの機材だ。左の写真に映るのは、レコード、CD、カセットが聴ける多用途プレイヤー。おそらく小学校の運動会などで使われることを目的としたもので、かなり大きな音が出る

Q: 『Mountaintop』にせよ『Inner Child』にせよ、その場の衝動でビデオを作ることが多いんですね(笑)。ところで、幼少期からクラシックピアノを本格的に学ばれていたマイカさんは、中学生でビートルズに出合い、ポップミュージックに目覚めたそうですね。改めてその衝撃を教えていただけますか?

 

2000年に『ザ・ビートルズ1』ってベストアルバムがリリースされたじゃないですか。あれを母が買ってきたので聴いていたら、すごくのめり込んでしまって。当時はフランスと日本を行き来する生活をしていたんですけど、11時間のフライトの間、ぶっ通しで聴いたりしていました。言葉がわからない異国での暮らしにストレスを感じ、心に穴が空いていたのも大きかったかもしれません。それまで洋楽はほとんど聴いていませんでしたが、心が解放される感じがあったんですよね。クラシックは、アスリートのように練習していたので、心を解放する場所というより、戦う場所という感じでしたから。そうじゃない新しい音楽として、ビートルズが心に染み入ってきたんでしょうね。自分で曲を作るようになったのは、それがきっかけ。歌が上手なクラスメイトの女の子に、ピアノで楽曲を提供するみたいな感じでしたけど。

Q: その遊びを、将来の仕事にしようと意識し始めたのはいつ頃だったんですか?

 

高校の時に、人間関係でちょっと病んで、カウンセリングに通っている時期があったんですね。その先生が面白い方で、私が作った曲を聴いてもらったら、「あ、なんか良いね。歌も自分で入れてみれば?」と言ってくれたんです。だから、音痴だとは知りつつ歌を入れてまた聴いてもらうと、今度は「曲は良いけど、歌がね……。ボイトレに通ったら?」って(笑)。それで「あー、その手があったかぁ」とか思いながら、幸い両親も協力的だったので、ボイトレに通い始めたんですよ、言われるがままに。でも、そっちのほうに一筋の光を見出していたんでしょうね。音楽に携わっていたほうが、自分は幸せかもって。とはいえ、最初は裏方志向だったんですけど。

 

Q: しかし、最終的には表舞台に立つ道を選ばれたわけですよね。

 

それも、気付いたらって感じなんですけど、20歳過ぎぐらいの時かな……当時組んでいたバンドで、渋谷のO-Crestの舞台に立ったのが、最初のライブだったと思います。今みたいにシンセや電子音を取り入れるようになったのも、その前後ですね。

Q: 趣味から仕事になるにつれて、音楽との向き合い方に変化はありましたか?

 

変わらないと思います。基本は自分に嘘をつかない……というか、嘘がつけないだけなんですけど。自分が好きなこと、良いと思うもの以外は作りたくない。あ、でも、変わったところもあるかもしれません。最初の頃は、音楽を作るのって、神聖なことだと思い込んでいたんですよ。どこからともなく湧いてくるインスピレーションに導かれて作ることこそが素晴らしいんだって。でも、何年かやっていくにつれて、導かれなくても作れると思えるようになりました。それは手癖ができたとかではなくて、自信がついたということなんだと思います。継続は力なりっていう、ただそれだけのことなんですけど、手を動かせば新しい音楽が無限にできるって気が付いて。

Q: そのブレイクスルーが起きたのはいつ頃なんですか?

 

2枚目のアルバムが出たぐらいですかね。それまでは“降りてきたもの”以外はボツにしていたんですよ。でも、そういうゴミと思った曲も、捨てないで取っておいて、時間を経て成長した自分が磨けば、ダイアモンドになると気付いたというか。音としっかりコミュニケーションを取れば、音楽は自ずと生まれてくると知ったんです。

Q: 「音とのコミュニケーションによって作る」というのは興味深い表現ですね。それはご自身だけでなく、誰かが作った音楽との間でも起きることなんですか?

 

そうですね、誰かの音楽を聴く時間はやっぱり大切。音楽は蓄積だと思うので。自分がゼロから作ってるつもりでも、やっぱりどこかで聴いた音がもとになってるものなんですよ。クラシックもそうですけど、脈々と作られてきたお城のような土台があって、そこに自分もちょっと石を置いてくみたいな感覚というか。

Q: 蓄積という意味では、クラシックを学んでいたことも、今のご自身の楽曲制作にも影響を与えているんですか?

 

与えていますね。私はいつも音楽を音符でとらえているので、ドレミファソラシドっていう絶対的な枠がまずあるんです。それが私の最大の個性とまでは言えないですけど、蓄積の一番下にあるのは間違いありません。

トレンチコートの思い出としてマイカさんが語ってくれたのは、2018年に訪れたというロンドンでの出来事。現地で知り合った年配の写真家にポートレートを撮ってもらうことになったマイカさんは、彼が着ていたトレンチコートを羽織って撮影に挑んだそう。「なるほど、ロンドナーはこういうのを着るんだなと思ったのが、忘れられません」とマイカさん

Q: では最後に、今後の目標を教えてください。

 

「自分はこういうスタイル」と決めつけて、そのなかで量産していくのではなく、常に自分が作るものに自分でびっくりし続けたいですね。そして、それを自己満足で完結させずに、いろんな人と共有できたら、面白い人生になるのかなって思います。

色鮮やかなトラックジャケットをはじめ、カラフルかつスポーティなアイテムの上にコートを羽織る姿は、さながらロンドンのクラブキッズのよう。いわく、「やっと完成したアルバムもそうなんですけど、今はこういうビビットな気分なんです」

アーティスト

マイカ・ルブテ

東京在住のシンガーソングライター、プロデューサー、DJ。幼少期から10代を日本・パリ・香港で過ごす。先進的なエレクトロニック・ミュージックを基軸としながら、テクスチャーをはぎ取ったオーセンティックな「歌」そのものを重要視している。国内外のアーティストとのコラボレーションやサウンドプロデュース、CMへの楽曲提供、リミックス、ナレーションなど多岐にわたって活動中。最新ミニアルバム『mani mani』が発売中。Instagram @maika_loubte

RECOMMENDED ITEMS

CONTINUE