Q: とんだ林蘭さんのご紹介ですが、おふたりはどのようなご関係なんですか?
MONO NO AWAREのアートワークを手がけている、沖山哲弥って奴がいるんですね。島の後輩で(※玉置さんは八丈島出身)、保育園から一緒なんですが、とんだ林さんとは彼の紹介で知り合いました。そんなに頻繁に会うわけではありませんが、会えば同窓会くらいに盛り上がれる人ですね。
Q: それは素晴らしい関係ですね(笑)。とんだ林さんは、OL時代に「漫画家になりたい」と思ったことが現在に至る活動の原点だと語っていました。玉置さんにとって、クリエイターとしての原点はどこにあるのですか?
小学生の時の自由研究で、母親と一緒に割り箸で家を作ったことですね。1LDKのログハウスみたいなやつでした。僕は音楽じゃなくても良いタイプで、とにかく手を動かしているのが好きなんです。だから、文章も書くし、漫画も描く。クラフトマンみたいな感じですよね。それを自覚したのが、割り箸のログハウス作りなんです。
Q: そんなに早くに自覚されていたのですね。では、現在の音楽活動に繋がるような活動はいつ頃始められたのですか?
中学生の頃に、歌詞を書き始めたことですかね。別にバンドを組んでいたわけではなく、純粋に歌詞だけを書いていたのですが。きっかけは、RADWIMPSです。こんなに面白い日本語の歌詞を書く人がいるんだと思って、真似してみたんです。RADWIMPSには、生活のなかで見過ごされがちなポイントに対して、「それってどうなんだろう?」と疑問を投げかける歌詞が多くて、そういうものを自分でも探していくみたいな。「血液型で1日の運命が決まっちゃうのはどうなんですか?」とか、今読み直すとむず痒くなるようなものばかりですけど(笑)。そういうことを高2くらいまでやっていました。
Q: その後、大学時代にMONO NO AWAREを結成されます。玉置さんの書くMONO NO AWAREの歌詞は、比類なき世界観を持っていると思いますが、中高時代のむず痒いものから今の歌詞の世界観を確立するまでに、ブレイクスルーはあったんですか?
いや、まだ確立したと思ってなくてですね……このまま確立できなさそうです(笑)。クリシェ(常套句)というか、いつも同じことをやっていると思われることに対する恐怖があるんですよ。それもあって、確立することを遠慮している感じですかね。
Q: 玉置さんにとって、“世界観を確立する”ということは、“クリシェを作る”ことなんですね。
そうだと思います。文章だったら同じ文体やノリで書いても良いと思うんですよ。根拠はないですが。でも、音楽は歌わなきゃいけないじゃないですか。歌ってて自分がつまんないなと思うものを、お客さんに聴かせるのは申し訳ない。そういう思いが自然と制約になって、アラカルト的な詞を書くという苦労を選んでしまうんです。
Q: その苦労が歌詞を書く上でのモチベーションにもなっているんですか?
そうですね。「まだ書いたことがないような言い回しはないか?」とか、そういうのを考えているのは楽しいです。
Q: MONO NO AWAREはサウンドも独特で、同じ曲のなかでもジャンルを越境していくような自由自在さがあります。これもクリシェを避ける為の作戦なんですか?
サウンド面でリスペクトしているミュージシャンがいないというのが大きいかもしれません。「こういうバンドになろう」っていうのがない、フラットな状態で始まったバンドなので。その寄る辺なさが弱みでもあるとは思うんですけど。だから、確立しないんです。
Q: 玉置さんはMONO NO AWAREのほかにも、バンドメンバーの加藤成順さんとアコースティックデュオ・MIZ(ミズ)を組んだり、Dos MonosのTaiTanさんとポッドキャスト『奇奇怪怪明解事典』を始めたり、また個人での文筆活動にも取り組んでいます。こうした様々な活動は、ご自身のなかでどういう位置づけなのですか?
どれも息抜きです。MIZは、MONO NO AWAREの為にパソコンの前でずっと音楽を作っているのがしんどくなって、アコギをポロポロやって構成は簡単で良いから肩の力を抜いた状態で曲を作ってみようと始めた活動だし、ポッドキャストは、コロナでライブ活動をできなかった時期にアウトプット先に苦しんで、TaiTanと始めたいわば暇つぶしのようなものでした。だから今も友達の家に遊びに行くような感覚でやってるんですよ。
Q: 文筆活動はいかがですか?
文章は苦しいタイプの息抜きというか、パソコンを打つ指がただ動いているのを楽しんでいる感じです(笑)。手を動かしてないと、体調を崩すんですよ。社会に貢献できてない気がして。何かしたいけど、1曲をものにするのは辛過ぎるって時でも、文字は書けちゃうんですよ。あと最近は、日記も書いているんですよ。物忘れが激し過ぎるので、会った人の名前とか、この人はこういうことを言っていたということを、書き残しておこうと思って。だけどそれも、次の日に読み返すと、数えたら500字くらいは書いているし、いつかまとめて出版できるかも知れないから、仕事したってことでいいか、みたいな気持ちもあるんです。
今回の撮影場所は、MONO NO AWAREが楽曲制作の際によく使うという都内のスタジオ。「ご自身の活動とゆかりのある場所を」というリクエストに対し、「ここしかないと思った」と玉置さん。実際、すれ違うスタッフの方たちと心地良さそうに会話する玉置さんにとって、ここはホームグラウンドのような場所なのだろう
Q: 玉置さんは自分の性格を、“飽きっぽい”とよく表現されています。その性格はご自身のクリエイティビティにも影響を与えていると思いますか?
思いますね。飽きた瞬間に完成するものも多いですから。こだわって作っていたものに対して、飽きがくる。それはあくびが出るような飽きではなくて、失恋とかと似ているんですけど。ずっと持っていた未練が、何かのきっかけですぱっと消える瞬間があるじゃないですか。そのような飽きがくる時に、曲でもなんでも完成することが多いですね。河本英夫という哲学者が『飽きる力』という本を出していて、僕が思う“飽き”の感覚を的確に言い表しているのですが。
あと、バンドの曲をこさえようとエッサホイサやっている時に、むちゃくちゃ鮮烈な映像が思い浮かぶことがあるんですよ。でも、それは音楽では表現できない。そういう場合は、ギターを置いて漫画にしたりするんですね。もちろん、漫画を描いている時に、ギターリフが思いついたらすぐギターを持てる自分も用意してあるんですけど。そうやって思いついてしまったことを、アウトプットできる先が多ければ多いほど良いし、そのほうが自分の脳が整理されるので、いろいろやっている感じです。
Q: 別の興味が生まれたから飽きる。玉置さんは、その興味をくるくる回しながら活動を続けているわけですね。
そうですね。河本英夫は“副産物”という言い方をするんですね。ひとつの目標に向かって努力を蓄積させるのではなく、何かやっている時に枝分かれして生まれた「こういうの面白いかも」っていう“副産物”を蓄積させていく。そういう経験の仕方を河本英夫は推していて、個人的にかなり賛成します。その無数の枝分かれが楽しいんですよ。新芽が出た時が、一番心が晴れやか。子供とかはみんなそうだと思いますけどね。砂場に飽きたのは、それよりも面白いものを見つけてしまったから。そういう経験をできるだけ長くしていたいなと思うんです。
Q: 常に無数にアイデアが沸き続けているんですね。
そうやって言葉にすると、めちゃくちゃカッコいいですね。でも、「無数にアイデアが沸き続けている」って字面は、ぎりぎり恥ずかしいな(笑)。ただ、今の社会って最短距離で正解にたどり着こうとするじゃないですか。それには抗いたい。何かを最短距離で成し遂げようとするには、人生は長過ぎるので。
Q: そんな玉置さんにとって、クリエイターとしての進化とはどういうものですか?
抽象的に言うなら、平面での樹形図みたいな広がり方ではなくて、もうちょっと螺旋状になるというか。枝分かれした何かが、音楽にもちゃんと養分として戻ってくるっていうことが起きたら立派だなって思います。例えば、同じ曲の同じ歌詞の意味合いが、枝分かれして生まれた表現を経た後では、僕自身にとって違うものとして体験できたり。歌詞は変わらないので、それはお客さんには伝わらないかもしれません。でも、まず同じことに対しての自分の感受性が変わる。そういう体験をし続けるのが進化だと思いますね。
「トレンチコートは、大人が着るフォーマルなアイテムだと思って、着たことがなかったんです」と語る玉置さんは、「でも、今29歳なのですが、この歳になってようやく着ても良い気がしてきました」と言い添える。この日のスタイリングは、雑誌『STUDY』編集長の長畑宏明さんと一緒に決めたそう
アーティスト
玉置周啓
たまおき・しゅうけい 1993年生まれ。東京都八丈島で育つ。2013年に、島の同級生である加藤成順らとMONO NO AWAREを結成。現在までに4枚のアルバムを発表している。そのほかの活動として、加藤とのアコースティックデュオ・MIZや、Dos MonosのTaiTanとポッドキャスト『奇奇怪怪明解事典』などがある。『奇奇怪怪明解事典』は2022年に書籍化もされ、話題を呼んだ。Instagram @tamaokisshukei