最強の宰相チャーチルの相貌かおとなり、
力の源泉となった貴族的服選び

Text: SHINRO HAYASHI

英国史上もっとも有名な政治家ウインストン・チャーチル。政治家としてのみならず、作家、画家としても活躍したマルチタレントの男には、人々の注目を自然に集め、ファンにしてしまうジョン・ブル(典型的英国人)としての巧まざる服装術があった。

 英国で最も有名な政治家といったら、現役では言うまでもなくボリス・ジョンソン英国首相である。では「歴史上の」という条件をつけたらどうなるか? 多くの英国人はためらうことなく第二次世界大戦で祖国を指揮し、アメリカと結んでヒットラーの野望を打ち砕いたウインストン・チャーチル(サー・ウインストン・レナード・スペンサー・チャーチル 1874-1965年)の名を挙げるだろう。

 その理由は至極簡単だ。もし1940年5月、チャーチルが首相の座に就かなかったら、英国はドイツの軍門に早々と降り、属国化していたかもしれなかったからだ。ナチスを崩壊せしめ、英国と世界を救うという余人が及ばぬ偉業をチャーチルは成し遂げたからだ。

 しかし、没後50年以上たっても、なおチャーチルの名を英国人の脳に留めているのは、そんな彼の政治家としてのオフィシャルな部分だけではないとぼくは思っている。この男の超がつく多才と、人並はずれた馬力が生み出すジョン・ブル(擬人化された典型的イギリス人像)としての存在感も大いに貢献しているのではないか。

 例えば、知られていないが、彼は超一流の作家であったのだ。43冊もの著作があり、若き日は戦争特派員として大活躍した。新聞・雑誌への寄稿は数知れず。自らも銃をとって参戦したボーア戦争の戦記『ロンドンからレディスミスまで』は14万部も売れたベストセラーだ。

 26歳のヤング・チャーチルは、当時おそらく最も稼ぐジャーナリストであった。その集大成が1948年、74歳のときに第1巻を上梓し、1954年に全6巻が完結した『第二次世界大戦』で、この作品は完結の前年1953年にノーベル文学賞を受賞している。同じく候補者だったあのアーネスト・ヘミングウエイを押しのけてだ。

 世界史を変えた政治家であり、同時にノーベル賞作家であるというだけでも稀なことなのに、チャーチルは画家としての才能もたいしたものだった。

 40代のころから独学で学んだ油絵。生涯500点ほど風景画を中心に描いている。政治的な考えでは正反対のパブロ・ピカソも「画家を職業にしても十分食べていかれただろう」と評していたほどだ。

 今年(2021年)3月、英国のオークション会社クリスティーズでチャーチルの風景画が830万ポンドの値で売れた。日本円で約12億円。生前チャーチルがアメリカのルーズベルト大統領に贈ったモロッコはマラケッシュのモスクを描いたものである。

 この絵、ブラット・ピットが当時妻だったアンジェリーナ・ジョリーに誕生日プレゼントとして贈ったものというなんともセレブな来歴まで付くが、それにしても凡庸な風景画家の作品だったらここまで値付けされないだろう。

 そしてもうひとつ、政治家としての力量とそれらの才能を全てひとまとめにし、ジョン・ブルとして国内外で群を抜く存在感を発揮するチャーチルのトレードマークとなったのが、彼の服装に表れる「英国貴族的趣味」である。

 新聞や映画ニュース(1940年代当時英国BBCはすでにテレビ放送を開始していたが、英国を含め世界的には映画館で流される映画版のニュースが一般的であった)に登場するチャーチルの生身の姿に人々は大英帝国の最高指導者としての風格やガンコさ、また豊かさと華やかさを見たのだ。実際、チャーチルの祖父モールバラ公爵は英国でも最上位の格を持つ貴族であった(チャーチル自身は生涯貴族の地位を踏襲しなかったが)。

 その代表が葉巻だ。チャーチルといえば煙草の最高峰、葉巻と誰しもが認めるところだ。青年時代に滞在したキューバで味をしめたといわれるチャーチルの葉巻ライフは徹底している。1日に吸う数、8本から10本。『ロミオ&フリエッタ』やいまはなき『ラ・アロマ・デ・クバ』(現在はニカラグアで同名のシガーが生産されている)などのキューバ産を好み、おもにセント・ジェイムスの『アルフレッド・ダンヒル』と『JJフォックス』から納めさせていた。国中が物資の欠乏で喘いでいた第二次大戦中ですらチャートウェルの私邸にはキューバ産の上物が常時数千本蓄えられていたというのだから。

 閣議だろうが国賓の接待であろうが就寝中以外彼の口から葉巻が離れることはない。ウソのような話だが、軍用機に搭乗するにあたっては葉巻を吸える特別なヘルメットを作らせたという。こんな度を越したわがままが国からも民からも許された存在だったのだ。

 蝶ネクタイもそうだ。歴史上これほどひとつのアクセサリーが特定の人物と結びついた例はそうないのではないか。蝶ネクタイはチャーチルの生まれついての気の強さと、容赦のない攻撃性をうまく中和させ、顔が勝負の政治家にとって『ターンブル&アッサー』製のポルカドット(小さい水玉)のそれは絶好の名刺代わりになった。

 父ランドルフ卿をまねて青年の頃から愛用していたようだが、まわりが徐々にネクタイに移行していった時代だけに彼ばかりが目立つ。ジョン・ブルらしく、流行なんてなんのそのである。二度目の登板となった1955年の組閣の写真をみると、首相チャーチルを除き、閣僚全員がネクタイである。もっとも他の政治家がこの巨魁に対して遠慮したというのもあったのだろうが。

 帽子もチャーチルの姿を語る上では欠かせない装飾品である。まあ、いろんな帽子をかぶっているのだ、この男は。チャーチルの帽子姿の写真だけで一冊の単行本が編めるだろう。それほどの帽子フェチだが、あえて挙げるなら終生愛したホンブルグとケンブリッジが彼のシグネチャースタイルといえる。ホンブルグはトップハットに次ぐフォーマル・ハットで、ブリムの端がクラウンに向かってカールしている、どちらかといえばフェミニンなかたち。ケンブリッジはボウラーとトップハットを足して二で割ったようなデザインといえばおわかりいただけるだろうか。反り返ったブリムに頂上が平らなクラウンがのっている19世紀の遺物であるこの帽子を、チャーチルは第二次大戦中の第一次内閣のときに再登場させるのである。彼の帽子を一手にひきうけていた『ジェイムズ・ロック』には、戦後、あの帽子はなにという問いあわせが山のようにあったという。

 チョークストライプ、別名チャーチルストライプでも知られる縞の三つ揃えスーツもチャーチル好みの服として知られる。色はグレイ、生地は『フォックス・ブラザーズ』製のフランネルだ。いまからおよそ250年前、英国西部のサマセット州ウェリントンで創業した老舗ミルの最高級生地を仕立てるのは、ロンドンサヴィルロウ最古のテイラー、『ヘンリー・プール』。1936年ごろ、エドワード八世とシンプソン夫人との結婚を英国国教会が認めず、退位するという王室史に残るスキャンダルが進行するなか仕立てたものだ。主にデイウエア(日中に着る服)として愛用し、チャーチルの写真にも多く登場する。

 このスーツを着、ポルカドットの蝶ネクタイを結び、ケンブリッジハットをかぶり、葉巻をくわえ、アメリカ製のマシンガン、トミーガンことトンプソンM1928を抱えたチャーチルの写真をご存知だろうか? これこそが1940年の夏、ドイツとの戦いで最悪だった戦況のなか、首相の抵抗の意志を表すイメージとして新聞などに掲載され、英国民を奮い立たせ、ヒトラーを驚かせ、全世界にチャーチルの不撓不屈の精神を知らしめたのである。

 残念ながらその写真には登場しないが、このフランネルのスーツをまとってのチャーチルの外出に頻繁に伴っていたのが当時も今も英国を代表するコートブランド、『アクアスキュータム』のトレンチコートだ。

 1851年にロンドンのメイフェアでテーラーを営んでいたジョン・エマリーがリージェントストリートに紳士服店を開店。その数年後にはオリジナルの防水布を開発し、社名もラテン語で水を意味するaqua と盾を意味する  scutum を組み合わせAquascutumにするや、メイフェア地区は『アクアスキュータム』の防水コートを求める紳士が殺到したという。

 英国の紳士服の発展に王室が果たした役割は大きい。王室の長い歴史のなかでも最も服装に関心が高かったエドワード七世にも気にいられ、『アクアスキュータム』のコートは王室のメンバーや貴族によってウオーキングやホースライディング、ゴルフ、ハンティングなどに愛用される。

 1897年に王室御用達になるが、チャーチルとの接点もそのころできたと推測される。というのも当時20代前半のチャーチルは、第四騎兵連隊の下士官でありながら、キューバ、インド、スーダンと世界各地の戦場をとびまわる戦争特派員でもあり、まさに『アクアスキュータム』が売り物にしていた実用性にとんだ最高峰のアウターウエアにふさわしいライフスタイルの実践者だったからだ。

 葉巻、蝶ネクタイ、帽子、スーツにコートとチャーチルのいかにも英国貴族的な好みを紹介したが、それらの選択基準についても、むろんチャーチルのことだから一家言あるのだ。最後にその言葉を加え、この稿を閉じるとしよう。

 I am a man of simple tastes; I am easily satisfied with the best.(わたしの好みはいかにも単純だ。最高のものだけがわたしを満足させてくれるのだ。)

服飾評論家

林 信朗

はやし・しんろう 雑誌『MEN’S CLUB』や『Gentry』など、数々のファッション誌の編集長を歴任した後に服飾評論家に。学生時代にアメリカへ留学した経験や、編集者時代に培った海外に関する知見に裏付けられた原稿執筆にも定評がある。メンズファッション以外にも映画、お酒、葉巻といった分野にも造詣が深く、長年研究する題材のひとつにウインストン・チャーチルがある。

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