アクアスキュータムの誕生
1851〜1899年代
これまでにない防水加工生地の開発
時代はヴィクトリア女王の治世真っ只中。産業革命によって工業化や都市化が進み、英国が世界経済の頂点に立っていた頃、1851年のロンドンのハイドパークでは世界で最初の万博博覧会が開催されていました。前代未聞の規模で多様な品々が展示され、その圧倒的ともいえる優れた英国の工業力を世界に知らしめた展覧会でした。
一方、ロンドンのなかでも高級住宅街であるメイフェア地区の中心街、リージェントストリートに、ジョン・エマリーという紳士服の仕立て職人が小さなテーラーを開業しました。エマリーは、長い年月をかけてウール地に防水加工を施す研究を繰り返しており、ついに1853年にその画期的な生地を誕生させます。奇跡的ともいえる撥水性を持ち、常にしなやかなその生地には、ラテン語で「水」を表す「aqua(アクア)」と、「盾」を表す「scutum(スキュータム)」を組み合わせた、「防水」という意味を持つ造語・Aquascutum(アクアスキュータム)と名が付けられたのです。
当時の上流階級の紳士たちの雨の日の装いは、雨除けのケープを何枚も重ねたオーバーコートを着用するのが一般的。雨をはじく革新的な生地に瞬く間に注文が殺到し、アクアスキュータムの歴史はこうして始まったのです。
左:防水加工技術の開発と成功により、ロンドン名誉市民の称号を与えられたアクアスキュータムの創業者、ジョン・エマリー 右:クリミア戦争でグッドレイク大尉が着用していた軍服とアクアスキュータム製のコート。これらはミッドランズのニューステッド修道院に保管されています
戦場で人命を救ったアクアスキュータム
時は1853年。ロシアと、トルコ・イギリス・フランス・サルデーニャの連合軍との間で、約3年もの間行われたクリミア戦争では逸話が残されています。グッドレイク大尉と彼の部下は、厳寒のなか、軍服の上には、雨風を防ぐ兵士のユニフォームであるアクアスキュータム製のグレーのコートを着用していました。しかし交戦中に本隊とはぐれてしまい、敵軍に包囲されてしまったのです。もはやこれまでか……と腹をくくるも、なぜかロシア兵はこちらの存在に顔色ひとつ変えません。なぜなら彼らも同色のコートを羽織っていたからです。味方の前線に加わるチャンスが訪れるまで、何食わぬ顔で敵軍とともに行軍し、無事に英国軍のもとに帰還することができました。
また、クリミア戦争の大将だったラグラン卿は、肩が動かしやすく俊敏な動きを妨げない袖の開発をアクアスキュータムに依頼。そして出来上がったのがラグラン袖。現在も定番となっているこの形状を考案したのは、ほかでもないアクアスキュータムの裁断師でした。
左:バルモラル城の前で、お気に入りのハンブルグハットをかぶり、派手なチェックのアクアスキュータムのコートを羽織ったエドワード7世。国事執行もスポーツ観戦も、いつもアクアスキュータムを着用していました 右:エドワード7世が自身の御用達店にアクアスキュータムを指定。1897年、アクアスキュータムに最初のロイヤルワラントが授与されました
王家から愛され気品あるファッションへ
英国のお洒落な皇太子といえばウィンザー公が有名。彼の祖父であるプリンス・オブ・ウェールズ、後のエドワード7世もまた、国内外から多くの注目を集める英国のファッションリーダー的存在でした。ある雨の日、側近が着用するアクアスキュータムのコートが水を弾いていることに気付き、王室御用達の仕立て屋に同じものを作るよう命じます。仕立て屋はその布地を大量に注文しようとしましたが、アクアスキュータムのコートはアクアスキュータムでしか作ることはできない……その事実を知ったエドワード7世は店の顧客となり、1897年には陛下からロイヤルワラントが授与されたのです。
その当時エドワード7世の寵愛を受けるというのは、ヨーロッパの王室に愛されることを意味していました。なぜなら陛下はロシア皇后、ドイツ皇帝、ルーマニア皇太子妃の伯父であり、妃はデンマークの王女であったからです。まもなくヨーロッパ中の王家の人々がアクアスキュータムを愛用するようになり、優雅なファッションとして世界中へと広がり、これがトレンチコートの誕生へと繋がっていきます。
婦人部門の設立と名品トレンチコートの創出
1900〜1910年代
活動的な淑女の為のスタイル提案
それまで紳士のニーズのみを満たしてきたアクアスキュータム。1900年になると時代の流れとともに変化し、淑女の為のお洒落かつ実用的なスーツや、コスチュームのデザインを始めるようになります。この頃の女性は、乗馬、ゴルフ、ドライブなど郊外での娯楽に参加するようになり、アクアスキュータムはその活動に適したコレクションを先陣を切って導入。1900年には婦人部門を立ち上げ、女性たちの要望を叶えるファッションを展開していきます。
オイル加工を施すことで雨風から身を守る
女性解放運動などが盛んになり、淑女にふさわしいスタイルが数々生まれたその数年後の1911年、ジョージ5世はアクアスキュータムにロイヤルワラントを授与しました。その一方で、英国軍事省からの依頼により、1914〜1918年の第一次世界大戦で戦う兵士の為のコートを製作することになります。それは、厚手のウールギャバジン地にコットンの裏地を付け、水を通さないオイル仕上げ素材の芯を入れた二重のライニング仕様。極寒とじめじめとした悲惨な塹壕で戦う兵士を、抜群の防水性と保温性で守ったこのコートこそが、名品となるトレンチコートです。
「トレンチ」とは、兵士たちが戦場で身を守るための「塹壕」という意味。塹壕は戦場に掘られる穴や溝のことで、敵に背後から回られないよう兵員の移動を図る交通壕です。その地面は、雨や地下水でぬかるんでいた為、兵士はその泥に身を潜めながら敵軍を待ち続けていました。過酷な環境のなかで雨風を防ぎ、体を冷やさぬことが命を守ることに繋がります。その役目を果たすコートゆえ、「トレンチコート」と名付けたのです。
コットン製のトレンチコートの現れ
1920〜1930年代
世の中の開花とともにコートも進化
第一次世界大戦が終焉を迎え、それまでとはうって変わり街は希望で溢れていました。ファッションもまた、オプティミズム(楽観主義)が流行し、アクアスキュータムのトレンチコートのシルエットも変化していきます。そんな英国が華やかに包まれていた1920年、アクアスキュータムは世界で最もお洒落な皇太子、後のウィンザー公であるプリンス・オブ・ウェールズからロイヤルワラントを授与され、ファッション界の注目を集めることになります。
それから10年後の1930年、戦時中の兵士を守ったアクアスキュータムのウール製のトレンチコートは、デザインをほとんど変えることなく、生地をコットンにして新しいモデルを発表します。それが定番モデルとして愛され続けている『KINGSWAY(キングスウェイ)』です。今もなお受け継がれているラグラン袖、スロートタブ、エポーレット、ガンバッジ、スリープストラップ、背中のヨークなど、トレンチコートを象徴するすべてのディテールはこの時に考案されたものです。
この時代のアクアスキュータムは、トレンチコートだけでなく、レインコートやオーバーコートの品質も最高級。あらゆるテーラーのコートのなかで、群を抜いた品質で名声をほしいままにしました。しかし、1939年、再び世界が戦争へと向かい、アクアスキュータムもまた国への奉仕に加わることになります。
素材開発における技術革新
1940〜1950年代
王族から認められ再び王室御用達に
1940年代、アクアスキュータムのコートは前線とともにありました。長きに渡って続いた第二次世界大戦では、フランス、ドイツ、アイスランド、そしてノルウェーでの寒さや湿気から連合軍の兵士たちを守ったのです。戦後の1949年には、エリザベス皇太后よりロイヤルワラントが授与され、皇太后の娘であるエリザベス2世が王位を継承した後も、再びアクアスキュータムは授与を受けます。1953年のエリザベス2世王位就任を宣示する戴冠式では、ウィンストン・チャーチル卿が、アクアスキュータムのレインコートを着て行進している姿が見られました。
数々の防水性生地の研究と開発
ニュージーランド出身の登山家、エドモンド・ヒラリー卿とシェルパのテンジン・ノルゲイは、人類史上初のエベレスト登頂に成功。この際に彼らが着用していた衣類の素材は、アクアスキュータムが開発した『WYNCOL(ウィンコル)D711』でした。ヒマラヤの極寒の地に挑むには、当時最高の機能性を備えた衣服が必要。それはすなわち軍の装備品だったのです。100マイルの風洞実験に耐えた『WYNCOL D 711』は、コットンとナイロンを用いており、後にレインコートにも採用されます。
素材開発は『WYNCOL D711』にとどまらず、フック卿の南極探検の際に採用された防水素材の『アンタールテックス』などもありました。そのなかでも、コットン100%で、ドライクリーニング後の再防水加工を必要としない『Aqua5(アクアファイブ)』の開発は、「究極のレインブルーフ」と呼ばれるほど、当時の最先端の性能を誇った生地となります。1959年の発表会の際には、コートにシャンパンを注いで防水性をアピールするデモンストレーションが行われたことも話題となり、『Aqua5』の誕生はアクアスキュータムにとって功績となったのです。
左:アクアスキュータムが開発した『WYNCOL D 711』は、初めてエベレストを征服した際にエドモンド・ヒラリー卿が着用していたフード付きジャケットとズボンの素材。こちらは生誕170周年を記念して作られたダウンジャケットのネームタグ。当時のデザインを忠実に再現して復刻(PHOTO: TAKEHIRO UOCHI) 右:綿100%の防水加工生地『Aqua5』が表記された当時のネームタグ(PHOTO: JUNJI HIROSE)
社会貢献とファッションへの発展
1960〜1980年代
注目される英国ファッションと国際進出
リージェントストリート100番地の本店は、コレクション規模の拡大に伴い、1960年代に2倍に拡張されました。英国のファッションは世界的に注目されるようになり、アクアスキュータムも日本を含め世界に進出していきます。1966年にはその業績が称えられ、輸出女王功労賞を受賞し、それ以降’71年、’76年、’79年、’86年、’90年にも賞を授かりました。
柄合わせが難しいチェック。裏地にクラブチェックを用いることは、高度な職人技の証でもあります。カラーの構成は、英国の格式高いクラブのブレザーの色を表しているネイビー、トレンチコートの代表色・ベージュ、素材や生地の質感を大切にする意味を込めたビキューナのブラウンなど、クラシックカラーが基本(PHOTO: AYUMU YOSHIDA)
クラブチェック柄の確立
国際成長が著しい1970年代、アクアスキュータムは1976年に125周年を迎えました。この周年を記念して作られたのがクラブチェック柄です。それまでコートの裏地には、タッターソールチェックやタータンチェックなど、英国伝統の柄を使用してきました。しかし、トレンチコートの評判とともに似たようなコートがあちこちで登場してきます。その為、アクアスキュータムとひと目でわかる柄を起こすことにしたのです。英国のトラディショナルなブランドに共通するのは、時代の流れに順応しながらも、揺るがないブランドのアイデンティティを残すこと。そこで生まれたのが「クラブチェック」です。正統のブリティッシュスタイルにふさわしいアクアスキュータムの象徴として、コートを筆頭に様々なアイテムに活用されていきます。
クレストが認可され名実ともに格式あるブランドに
125周年の年には、ファッション誌『VOGUE』が記念特集号を組み、メンズコートの裏地に使用したクラブチェックもお披露目されました。1980年代にはコレクションの成功やクラブチェックの人気が高まり、アクセサリーにも力を入れ、贅沢なファブリックによる、美しいデザインのバッグや革小物などが様々にラインナップしていきます。そして1982年、アクアスキュータムが築いてきた長年の高い評価と伝統が認められ、英国紋章院より紋章「グラント・オブ・アームズ」が認可されたのです。
継承されていく伝統、そして革新
1990〜2000年代
新たな挑戦と国際的祭典での衣装提供
1990年代に入ると、ロンドン映画祭のスポンサーやリージェントストリートでの最新ルックの披露、各国にフラッグシップショップをオープンするなど、アクアスキュータムは国内外で発展していくことになります。世界へのイベントへも参加し続け、1994年のリレハンメル冬季オリンピック、1996年のアトランタオリンピック、1998年の長野オリンピックの英国ナショナルチームのオフィシャルウエアを手がけたのです。その国際的な成功と貢献により、1995年にBKCECアパレル輸出功労賞を受賞しました。
遺産と歴史を背景に進化していく
数々の著名人、そして銀幕のスターたちに愛され、1950年以降幾度となくハードボイルド映画に登場してきたトレンチコートは、戦いのシンボルでありながら優雅さをそなえたファッションアイテムとして確立していきました。多くの名優たちが袖を通したブランドの代名詞である『KINGSWAY』は、2000年代になるとデザインを変えながら進化していきます。マスターピースのデザインを変えるということは、ブランドにとって革新のひとつでもあるのです。いつの時代も戦うものたちとあゆんできた『KINGSWAY』。まさにアクアスキュータムの伝統と誇りそのものです。
そして170周年を迎えた2021年。新たな挑戦としてオウンドメディア「&AQ(アンドエーキュー)」を立ち上げ、普遍であり続け、探究し続ける場を作りました。伝統があるからこそ発展できることがある……これまでのレガシーを引き継ぎながら、アクアスキュータムの歴史はこれからもトレンチコートとともに続いていきます。