ブームの発端は時の人となったダイアナ元妃
ロンドンのチェルシー地区の一角にある、スローンスクエアという高級住宅地。’80年代初頭、ここで「スローンレンジャー」というひとつのファッションが流行しました。サッチャーが政権を握ると同時に崩壊した経済とインフレ。皮肉にも大不況に見舞われ失業率はピークに。英国はおとぎ話のプリンセスの夢を売り込み、人々は現実逃避するように上流階級へ憧れを抱いた時代でした。
瞬く間に広がったスローンルック。そのトレンドを牽引したのは「プリンセスの夢」であるダイアナ元妃の存在でした。’80年代の幕開けとともに、チャールズ皇太子と婚約発表した当時のダイアナ・スペンサー嬢は、一躍世間に知られる存在となります。ファッションアイコンとしての彼女の急成長と、『THE OFFICIAL SLOANE RANGER HAND BOOK(オフィシャル スローン レンジャー ハンドブック)』の発売も相まって、スローンレンジャー・ブームは一大旋風を巻き起こしていくのです。
英『HARPERS & QUEEN(ハーパーズ アンド クイーン)』 (現・UK版『Harper’s BAZAAR(ハーパーズ バザー)』)のエディターだったアン・バールとピーター・ヨークが出版した『オフィシャル スローン レンジャー ハンドブック』は、数年前にアメリカで発売された『THE OFFICIAL PREPPY HANDBOOK(オフィシャル プレッピー ハンドブック)』に次ぐ、スローンレンジャーのトレンド化を確信して企画された一冊 です。「ダイアナは世界中を魅了するスローンレンジャーの代表格。彼女とともに、分類学視点でユーモアたっぷりに構成してまとめれば、ヒットすることは間違いないと思ったのです」と発起人のひとりであるヨークは語っています。
左:『オフィシャル スローン レンジャー ハンドブック』が発売され、スローンレンジャーが人気を博す中、スローンズに対抗して、スカの音楽シーンから生まれたツートーン、ニューロマンティック、ワイドボーイ・カジュアル、そしてパンクスやゴスなど、様々なスタイルも人気でした 右:アメリカで出版された日本語版『オフィシャル プレッピー ハンドブック』
スローンの条件は貴族や富裕層であること
スローンレンジャーというのは単なるファッションではありません。当時のイギリスには、上流中産階級を構成する様々なグループがありましたが、スローンには伯爵位や公爵位を継承する貴族出身者、さらにそれ以外の富裕層も含まれており、英国で代々受け継がれてきた特権を持っていることこそがスタイルの本質。後に一般層にも「ファッション」として広がっていきますが、本来は自分たちの育ちを示すためのユニフォームのようなものでした。
生活の拠点と言えばロンドン、そして田園地帯に所有しているカントリーハウス。中にはキングスロードやフラムロードのフラットシェアで共同生活を送る若いスローンたちもいました。十分な環境が与えられていた彼らですが、決して富裕層であることは見せないことが暗黙のルール。富を誇示するのは都会かぶれとされていた為、言葉遣いも独特でした。香水は「香り」、トイレは「ルー」、サティー(妻が夫の火葬の火で殉死すること)では「ソファ」など、相手に「PLU(同階級)」(People Like Usの略)であることを暗に知らせるためのコードを持っていたのです。
高級ブランドを纏うことが基本ルール
スローンレンジャーは、主にロンドンの都会を拠点にしているシティレンジャーと、郊外で過ごすカントリーレンジャーのカテゴリーに分けれられます。しばしば居住地やスタイルがクロスオーバーしますが、共通したドレスコードは高級ブランドを着用していることが大前提。実際にどんなスタイルだったのか、今回はシティに焦点を当てて紹介したいと思います。
女性のシティ代表格といえば、チューダー・ホール・スクールやチェルトナム・レディス・カレッジなどの、私立学校出身のダイアナ妃のクローンたち。細いベルベットのヘアバンドと、フリルの襟元にパールのクラシックなチョーカー、ピンクや赤のベネトンのニットを組み合わせたり、陽気なイメージのローラ・アシュレイのドレスが定番でした。このタイプの女性は良家子息と結婚し、将来夫の財産管理を手伝うことが主な野望で、現代でいうキャサリン妃がまさに女性像。彼女の育ちは賛否両論ですが、立ち振る舞いは王室が高潔であることを象徴しており、趣味が良いのに派手ではなく、古き良き時代のスローン文化を継承していると言えます。また、当時のスローンガールズは、世界各国の令嬢が集う舞踏会「ル・バル・デ・デビュタント」出身がほとんど。『TATLER(タトラー)』や『ハーパーズ バザー』といった雑誌のパーティページに掲載されることが女の子たちの憧れで、舞踏会に出席するのは夢日記の頂点でした。でも、現実は少し違っており、ダイアー・ストレイツの曲と共に、名門ハロー校男子に自慢のシルクドレスを夜明け前に引き裂かれることもしばしばありました。
ちなみに、「The Baby Legs(ベビー・レッグス)」と呼ばれていた少数派もいました。父親のオーバーサイズのニットに、ララのミニスカート、そしてピカピカのウィンクルピッカーのパンプスで着飾り、時々インドに出かけたり、ノッティング・ヒル界隈のパーティを楽しんでいたとか。
一方男性はというと、’80年代は典型的なシティボーイの全盛期で、良家の子息たちがシーンの大半を占めていましたが、女性とは異なり、それに憧れる人はごく少数でした。代表的なスタイルは「City Swinger (シティ・スウィンガー)」。すっきりと整ったヘアにサヴィル・ロウのスーツを着て、ジャーミン・ストリート・シャツメーカーズのストライプのシャツ、細身のシルクのネクタイ、そしてスーツのポケットから覗くシルクのハンカチーフ。足元はオーダーメイドか父親譲りのスマートなブローグでした。
シティ・スウィンガーと肩を並べていた「The Army Smarmy(陸軍スマーミー)」というグループもいました。平日はフルハム地区のワインバーに通い、週末はポニーに股がってポロか、アスコットやチェルトナムの競馬場を双眼鏡で眺める時間をこよなく愛した人たち。後に軍隊から金融業に転職したタイプで、金ボタンのブレザーにサーモンピンクのチノパン、レモン色のVネックに、ネイビーのピンストライプ・シャツ、足元はグッチの黒のスナッフルスリップオンを合わせたスタイルが定番でした。
また、ベビーレッグスは男性へも派生し、ケンジントンにある「Great Gear Market(グレート・ギア・マーケット)」で購入した黒と赤のストライプのパンツに黒のウィンクルピッカーのブーツ、茶系のフライトジャケットが定番で、週末になると男子寄宿学校からスローンスクエアへ行っては、ベビーレッグスの女の子に会うのが楽しみでした。そして、休暇になればスキーをしにサン・モリッツへ出かけるのです。
変化を遂げながら普遍であり続けていく
その後スローンのトレンドは、原点回帰を繰り返しながらもコスモポリタンなものへと進化を遂げます。’90年代から2000年代初頭にかけては、英国の大手ブランドが伝統とトレンドを融合して躍進し、上品で洗練された「ポッシュシック」を復活させます。英国貴族らしさにこだわるポッシュシックの典型のスタイルに始まり、モデル・女優のエリザベス・ハーレイや、俳優のヒュー・グラントといったセレブたちによるセクシーさが加わったスタイルも登場します。一変してミレニアル世代のセレブスローンたちに至っては、ポップスターやサッカー選手の子供など様々な顔ぶれ。野外フェスのWilderness Festival(ワイルドネス・フェスティバル)では、インドの頭飾りを付けた天真爛漫な姿がキャッチされ、知識層の同世代から文化的な搾取だと怒りを買っています。
かつてダイアナ妃の人気が高まるにつれて、一般層へもスローンレンジャー・スタイルは瞬く間に広まっていきました。ハンドブック自体も、出版直後は寄宿学校生のクリスマスプレゼントや、セレブのための手引き書となっていましたが、いつしか庶民の手元へも届いていったように、もはやスローンにとって血統は重要視されなくなってしまったのです。
しかし、今もなおスローンの伝統を受け継ぐのは英国貴族主義世代。『THE CROWN(ザ クラウン)』や『DOWNTON ABBEY(ダウントン・アビー)』などのオンラインドラマも後継に一役買っています。ほとんどのトレンドは時とともに衰退していってしまうのが実情ですが、スローンスタイルはその過程を逆転するがごとく、今だからこそ求められる英国の真髄とも言える普遍的風格を継承しつつ、時を超えて魅力的であり続けているのは間違いありません。
映像作家・脚本家・監督
レイチェル・シーリー
メディア業界全体でさまざまな役割を担ってきた、英国貴族出身のマルチ映像作家。現在は、脚本家・監督としてのキャリアをメインにしている。生まれは典型的な上流階級の家庭。15歳になる頃には、田園地帯のカントリーハウスでポニーに乗ることに退屈し、寄宿学校を退学。その後シティレンジャーの中核だった地区に身を投じる。ここ最近はロンドンからコーンウォールに活動のベースを移し、映画監督のDenzil Monk (デンジル・モンク)と共に長編映画を制作中。ダンス界の主導的存在、コーンウォールのバーティカル・ダンスカンパニーのYskynna(イスキーナ)と、新VRプロジェクトの共同ディレクターとしての参加も予定している