大切に紡いできた原体験が、私に残したもの(後編)

ELLI-ROSE

Text: MIKI SUKA
Photo: KEI SAKAKURA

170年という歴史を、現代に繋いできたアクアスキュータム。独自の防水加工を施し、“一生もの”とも呼べる耐久性を誇るトレンチコートは、母から子へと受け継がれていくお洒落の精神を宿すかのよう。その普遍的な佇まいは、ある人の人生にも繋がっています……。ほどよく日焼けした健康的な肌に、ヘーゼル色の瞳を持つ美しい女性。モデル、そしてDJとして活躍するエリーローズさんの生き方には、今多くの女性が共感しています。まっすぐとした物言いは芯の強さを思わせ、自分の好きなことを貫き、何事も受け入れる大らかさを併せ持つ彼女が、今日まで大切に繋いできたものとは。美しく循環し続ける、エリーローズさんの素敵な素顔に迫まる後編です(前編はこちらから)。

自分を突き動かした、音楽の存在

日本の高校を卒業し20歳を目前に控えた頃、本格的にモデルとしての活動がスタート。12歳でカメラの前に立ってから、常に自然体で自分を表現できることがエリーローズさんの天性の魅力として重宝され、活躍の場が広がっていきます。

「親と同じく、自分もいつかファッションの世界に行くのかなっていう漠然とした気持ちがありました。その為にはきちんと服の勉強をしなくては、という焦りもあって。でも同じタイミングで、モデルの仕事がすごく順調に進んでいたんです。だから学校に入るのは、もう1年様子を見ようって決めた時、雑誌『ViVi』に起用が決まって。そこから10年間、ほぼ毎日がモデルの仕事という生活になりました」

 

多忙を極めたモデル生活を送るなか、自分をリセットするもののひとつに、音楽の存在があったと言います。息抜きとしての音楽がやがて、彼女にとってなくてはならないものとなり、次第に仕事へと繋がっていきます。

「小さい時から音楽が大好きで、なかでも当時はUKミュージックが本気で好きだった。音に惚れてしまったという感じです。だから、モデル以外のパッションはすべて音楽にありました」

東京には世界中のミュージックシーンが流入し、盛り上がりをみせていた時。最先端のクラブがオープンし、欧州のアンダーグラウンドシーンが日本にいながらにして、体験できるようになったのです。

「当時、たくさんの有名DJやアーティストが来日し、音楽シーンにパリの空気やハイファッション、エレクトロブームがいい具合に混じってたんです。その空気感にのめり込んでいた私は、DJとして本格的な活動をスタートさせました。それから、ありがたいことに約15年、モデルと音楽DJの仕事を両方バランスよく続けられています」

好きなことへの、正直な気持ち

がむしゃらに走った20代。自らのパッションを投影したアンダーグラウンドシーンでのDJ活動。華やかで順風満帆と思われる彼女の私生活には、乗り越えてきた葛藤や苦悩もあったと言います。

「急激に売れるということはなくても、コンスタントにいい流れでお仕事として続けられています。でも音楽業界の人からは、所詮“モデル”の趣味だろう、この子はどこまで真剣に取り組んでいるのかと、疑問視されることも多々ありました。今でこそ男女平等になってきているけれど、ただでさえ女性が生き残るのが難しい世界で、どうしたら自分が活躍できるのか、日々模索していました」

心を震わせる音楽に自分自身のパッションを込めて、多くの人に届けたい。様々な批判を受けながらも、過酷な現場で勝負を続けることで、信頼を勝ち取りたいと諦めなかった彼女。その原動力ともなったのは、“土臭さ”を大切にするフェスでの思い出にあります。

「20代前半は、バルセロナやイビサなど、海外のフェスによく足を運びました。今みたいにフェスがコマーシャルではなく、もっとスピリチュアルなものだった時です。当時はネットやSNSもなく、自分の足で行動しなくてはたどり着けない場所でした。多くのレジェンドを目の当たりにして、絶景のサンセットに包まれる。世の中にはハッピーな人たちがいっぱいいるんだ! と、ものすごい影響を受けましたね。まさに、ストリートスマートです。現場で全部を学ぶことが、私の生き方。すべてミックスして自分のクリエーションに変えていくのが自分のスタイルなのかもしれない」

祖母から母、そしてエリーローズさんへ。三代で大事に使っているという陶器のポット(写真左)と、こちらも母から受け継いだ腕時計(写真右)

サステイナブルに生きるということ

平日はモデル、週末はDJというふたつの仕事を続けているエリーローズさん。幼少期に体験した様々な出来事は今、彼女の私生活をよりサステイナブルに導いているよう。

「私は母から、洋服のお下がりをよくもらっています。母は、洋服を大事にケースに入れてきちんと保管しているような人。そんな母の姿勢から、ものを大切に使い続けることの素晴らしさを学んできました。18歳になった時、母から突然、自分が18の時に使っていたという腕時計をプレゼントされました。スイス製の歴史あるメゾンの腕時計で、私が受け継ぎ今も大切に使っています。生活のなかではなるべくプラスチックを使うのをやめるとか、マイボトルを持ち歩くだけじゃなく、無駄にものを買うのをやめたり、車移動ではなく自転車を使うようにしたり。テイクアウトの容器もプラスチックが多いので、なるべく自炊もするように心がけています。エネルギーをあまり使わない生活も理想だから、たまには夜をロウソクだけで過ごすのも、いいですよね。ものは大切に使い続けることでちゃんと長持ちするから、まずはその姿勢が、あたり前にできるサステイナビリティへの第一歩です」

 

腕時計のほかにもうひとつ、お母さんから譲り受けたものは漆黒が美しい陶器のポット。これは日本人である父方の祖母が英国人の母に贈ったもの。それを今は彼女が受け継ぎ、三代に渡って大事に使われています。さらに、フォトグラファーのお父さんからは、ヘルムート・ニュートンの写真集を譲り受けたエリーローズさん。家族がそれぞれ大切にしてきたものは、そのまま愛情となり次の世代にきちんと受け継がれているのです。

父親のスタジオで一目惚れし譲り受けたというヘルムート・ニュートンの写真集

30代、新しい自分に出会う

元気いっぱいのフレッシュなモデルから、ナチュラルな大人の女性へと成長したエリーローズさん。30代はより丁寧な生活を送っていきたいと静かに語ります。

「一生懸命な人は、それだけで愛おしいですよね。私はラッキーなことに、一生懸命頑張る人たちに囲まれて育ちました。自分たちのクリエイティブや情熱がそのまま仕事になって、家族を養う。そのわがままは、いい意味の自己中心的で、自分のやりたいことを突き通す大事さと美しさを、私は身近な人たちから学びました。それに、時間を無駄にするのが人生で一番嫌というのがあって、朝起きた瞬間から今日は何をしようかと目一杯に考えているんです。やりたいことを全部やって、今を生きることを楽しみたいと心から思うから。近い将来、スキンケアラインを出したいという新しい目標も、コロナ禍で見つけることもできました。これまでの経験を生かして、今度は裏方として何かを作るという第二のステップになりそうです」

 

ひとり出かけた先で、5キロのランニングをこなし、近所の銭湯やサウナに気軽に訪れる軽快さ。エシカルへの心がけと、ほどよい日焼けとヘルシーな食事。ショッピングに時間を費やすのではなく、自分自身のケアに時間をかける。自らの限界を知ることが、自分らしさを引き出すということを彼女は心得ていました。30代、どこまでもナチュラルで透明な輝きを放つ大人のエリーローズさん。その身体も精神も、そして身に付けるものすべてが、美しい循環を繰り返していきます。

モデル・タレント・DJ

エリーローズ

12歳で篠山紀信氏撮影の写真集でデビュー。イギリス人の母(スタイリスト)と日本人の父(フォトグラファー)の間に生まれ、英語と日本語のバイリンガル。ティーン誌などを経て、大人気女性誌『ViVi』モデルを10年務めて卒業。現在は『otona MUSE』『Gina』など様々な女性ファッション誌に出演。2008年から始めたDJ活動も人気を呼び、DJ活動は年間60本以上。ELLI ARAKAWAとして日本各地のみならず、ヨーロッパ圏やアジア圏を中心にワールドワイドに活躍中。Instagram @ellirose

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