大切に紡いできた原体験が、私に残したもの(前編)

ELLI-ROSE

Text: MIKI SUKA
Photo: KEI SAKAKURA

170年という歴史を、現代に繋いできたアクアスキュータム。独自の防水加工を施し、“一生もの”とも呼べる耐久性を誇るトレンチコートは、母から子へと受け継がれていくお洒落の精神を宿すかのよう。その普遍的な佇まいは、ある人の人生にも繋がっています……。ほどよく日焼けした健康的な肌に、ヘーゼル色の瞳を持つ美しい女性。モデル、そしてDJとして活躍するエリーローズさんの生き方には、今多くの女性が共感しています。まっすぐとした物言いは芯の強さを思わせ、自分の好きなことを貫き、何事も受け入れる大らかさを併せ持つ彼女が、今日まで大切に繋いできたものとは。美しく循環し続ける、エリーローズさんの素敵な素顔に迫ります。

母が羽織った雨の日のトレンチコート

イギリス人の母と、日本人の父を持つエリーローズさん。滑らかなボディラインを優しく包み込む黒のニットドレスは、たおやかな大人の女性の印象。ミニマルで洗練されたそのファッションセンスは、イギリスと日本というふたつの国の文化を背負い生きてきたなかで磨かれた、センスの賜物なのかもしれません。

「私の母は、日本でスタイリストとして長年仕事をしています。そして、イギリスの祖父はテーラーでした。私がまだ小さい頃から祖父はジャケットやスーツ、ペンシルスカートなどを作ったり直したりしていたんです。だから、ファッションはいつも身近な存在。母もファッションの塊のような人で(笑)、長年アクアスキュータムのトレンチコートを着ていました。アクアは水、そしてスキュータムは盾。私にとって母が羽織る防水性のコートは、彼女を守ってくれる強いイメージ。ジャケットの上にさっと羽織って、雨が降っても傘をささない母は、英国人そのものでした」

12歳でひとり旅立ち、初めて知った英国生活

スタイリストとして東京で活躍していたイギリス人の母と、日本人で有名フォトグラファーの父という、個性豊かな家族のもとに誕生したエリーローズさん。ふたつの国の文化をバランスよく身に付けたいと、ちょっぴり早い独り立ちをすることに。今の彼女を作り上げた原体験は、そんなオリジナルの幼少期にありました。

「私は西麻布で生まれ育ち、保育園も小学校も地元の公立学校に通っていました。英語がちゃんと話せないままだったので、母に進められて中学校から留学することになったんです。イギリスのアスコットという競馬で有名な街の、寄宿舎のある女子校に行きました」

 

12歳で親元を離れ、初めての英国暮らし。15歳で中学を卒業するまで、寮生活でどっぷりと英国文化に触れることになったエリーローズさん。カルチャーショックとともに芽生えたのは、自分自身を振り返る原点回帰のような時間だったとか。

「女の子だけの寮生活のなか、初めて日本人のいない環境に身を置きました。世界中からハイソサイエティなお家の子供たちが集まってくるような学校だけれど、雰囲気はリラックスしていて、どこかハリーポッターの寄宿舎のような世界でした。ローブを羽織って朝はチャペルで祈り、放課後は合唱や乗馬、それにラクロス。言ってしまえば“超イギリス!”というのをやっていましたね。当時はマイケル・ジャクソンやMTVなど、アメリカ文化に影響されていましたから、濃厚なイギリス文化のなかに身を置いて思ったのは、『私は何者なのか』ってこと。自分自身のことをすごく考えるタイミングでもありました」

12歳での鮮烈なモデルデビュー

10代前半からの刺激あふれる海外での経験は、後の人生に大きな影響を与えることに。モデルとして華々しいデビューを果たしたのも、同じ頃。大きな瞳でまっすぐと力強くこちらを見つめる印象的なカバー。12歳にして独特なオーラを放つ少女時代のエリーローズさんを撮影し写真集にまとめたのは、日本が世界に誇る写真家、篠山紀信さんでした。

「当時、六本木にあったWAVEというレコード店の奥に洒落たカフェがありました。小学校5年生で、ランドセルを背負ったまま母親とランチに行った時、隣の席に篠山紀信さんがたまたま座って。母と篠山さんが知り合いだったので『これうちの娘! 小学5年生で、今11歳!』って紹介してくれて、篠山さんも『可愛いねー! なんなのこの顔は!』みたいに盛り上がったんです」

写真集ブームだった当時、次に出す写真集のモデルを探していたという篠山紀信さんが偶然出会った純真無垢な美少女に、白羽の矢が立ったのです。10日間のロンドンロケ。イギリス人の母が、スタイリスト兼コーディネーターとして撮影に参加。ロンドンバスやウィンザー城をロケ地に、撮影はドラマチックなものとなりました。

逞しくて優しい、大好きな母の存在

「当時はまだ幼かったというのもありますが、母はいつもそばにいて、私を導いてくれたように思います」

エリーローズさんの母、マキシーン・ヴァンクリフ荒川さんは、スタイリストとしてファッション撮影やオートクチュールコレクションの仕事もこなしていた人。華やかな世界に身を置く母・マキシーンさんに連れられて、エリーローズさんは幼少期から、特別な体験をしてきたと言います。

「母に関しては、面白いエピソードがいっぱいなんです。’70〜80年代は、日本で仕事をしている外国人は少数派だったし、金髪で前髪パッツン、しかもド派手な格好をした母は、どこへ行っても注目の的でした。森 英恵さんのコレクション、『家庭画報』や『流行通信』の撮影、当時最先端を走っていたファッションの撮影に連れて行かれることも多かった。コレクションでQ出しする母を、私は会場の上からいつものぞいていました。母にくっついて、ファッションやコスメの展示会にもよく足を運びましたし、そのおかげでたくさんの出会いや知識を得ることができたのも事実です」

今「生きてる」と感じること

彼女の言葉を借りれば、生まれた時から「エネルギーの塊のようなお母さん」と「クリエイター気質満載のお父さん」を横目で見ながら育った幼少期。そんな両親の生き方と子育ての感覚は、大人になった今だからこそ、ものすごく共感できるものになったという。

「母も父ももう70歳近くになりますが、どこまでもパワフル。気持ちはいつも『生きてるー!』って感じです。幼少期はシッターさんに育てられたようなものだったけれど、全然私は苦じゃなかった。週末は公園に行くよりも、イッセイミヤケのプレスルームに行くというようなことが多くて、でもそれが私の楽しみでもありました。夏休みは決まって1ヶ月間、栃木の祖父母の家に預けられました。おじいちゃんおばあちゃんから、習字や生け花を習い、日本文化や田舎暮らしの良さもちゃんと味合わせてくれたんです。親が働いていてかわいそうとか、12歳で留学なんてって言う人もいたけれど、私は一生懸命働く両親のもとで、しっかり愛情を受けながら、“自分で考える教育”をしてもらったと思っています」

 

両親との刺激ある都会生活と、祖父母と触れ合う心安らぐ田舎暮らし。最先端のクリエーションの世界を知りながら、虫や土に触れた自然体験こそが、エリーローズさんの原点として今の彼女を作り上げています。

 

 

後編につづく

モデル・タレント・DJ

エリーローズ

12歳で篠山紀信氏撮影の写真集でデビュー。イギリス人の母(スタイリスト)と日本人の父(フォトグラファー)の間に生まれ、英語と日本語のバイリンガル。ティーン誌などを経て、大人気女性誌『ViVi』モデルを10年務めて卒業。現在は『otona MUSE』『Gina』など様々な女性ファッション誌に出演。2008年から始めたDJ活動も人気を呼び、DJ活動は年間60本以上。ELLI ARAKAWAとして日本各地のみならず、ヨーロッパ圏やアジア圏を中心にワールドワイドに活躍中。Instagram @ellirose

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