修復士の手から手へ、百年を結ぶ情熱のバトン(後編)

杉山恵助

Text: MIKI SUKA
Photo: KAZUMASA HARADA

170年前、ロンドンで創業したアクアスキュータム。当時の革新的な技術が生み出した撥水加工のトレンチコートは、時を経た今も世界中の人に愛され続けています。良いものは長く愛され、良い技術は継承される。その尊さと難しさの両方を、身をもって知る杉山恵助さんは、後世に残すべき文化財の修理を手がける修復士。過去数百年を生き抜いた名作にそっと触れる指先が、次の数百年先という未来をゆっくりとなぞります(前編はこちらから)。

修復作業で触れる、先人たちの足跡

大英博物館では、東洋絵画修復部門へ勤務し、収蔵品の保存修復にあたった杉山さん。数万点の日本美術を収蔵する大英博物館には「日本セクション」が設けられ、浮世絵や蒔絵、版画作品なども収蔵されており、杉山さんは遥か昔に自分と同じく海を渡ってきた名作たちと、一対一で向き合うという日々を送っていました。

 

「一つひとつの作品が、出合いです。修理をする時は、作品と数十センチの距離で向き合い丸一日過ごしたりすることもあるんですね。そうすると、いろんなものが見えてくるんです。作品を手がけた人のこと、過去に直した人のこと。例えば掛軸ひとつとっても、作品の解体をしながら、先人が行った表具や修理を見て、『すげー上手だなぁ』とか『そっか、そんなやり方するんだ』と、ひとり感動するわけです。

 

ひとつの名作が世界に存続する時間が何百年というスパンを考えると、本当に思うのが、僕らは点でしかないということ。作品の所有者でさえ長くて数十年。僕らが携わる修復作業はもっと短くて、長くても数年ほど。修復士が作品に関わる一瞬の時間は、小さな点でしかないんです。でもそれって、必ず次に作品を修復する人がいるということでもある。だから修復の作業もその為の技術も、未来に受け渡すバトンだと思っています。ひとつの作品が今一瞬僕らのもとにあって、これを次の世代に渡す為に直している。廻るという感覚こそ、修復士たちが普段から感じていることでもあるんですね」

杉山さんたち修復士は、作品の損傷を見ながら、過去の修理跡とも向き合います。ひとつ前の修理が150年前だとすると、過去何回修理がなされてきたのかを推測するのだそうです。室町時代の仏画作品を見ながら、現代に至るまでにどのように修理され、表装が変えられ、受け継がれてきたのか、その歴史に思いを馳せます。作品を通して先人たちと対話する、その作業はいつも驚きや感動に包まれています。

 

「僕らがやる仕事を評価するのは、100年後の人になるわけです。だから下手な仕事はできないですよね。100年後にがっかりされたくないじゃないですか(笑)。誰にもわからなくても、やっぱり常に良い仕事をしようって思うのは、次にこのバトンを受け取った人がどう思うかという意識に、いつも支えられています」

「薬品を使ってシミを取り除き、一時的な美しさを取り戻させることは、同時に紙の劣化を進めその寿命を縮めてしまうことに繋がります。どう良く見せるかということと、作品にとって何が大事かということは違うんです。理想は、やわらかな和紙と極限に薄い糊で、あとからも外れやすいようなのが良くて。修理する時にちょっと湿り入れたら、ふわっと取れる。そういう瞬間に出合うと『うわ〜カッコいいな』って、100年前の仕事に感動します。そんな美しい修理をした誰かは、生きている間には誰にも褒められないわけですから、黙って作業する行為こそ、心底カッコいいなと思います」

伝統技術を紡ぎ続けることの意味

大英博物館に勤めた8年間の英国在住時代、異国の地で守られてきた日本美術に触れ、日本人である自分を切に感じながら、誇らしさと同時にその技術を未来へ継承する難しさにも直面した杉山さん。ロンドンの街中に当たり前のようにあるリサイクルショップや、そこで見つけたお気に入りのツイードジャケットなど、古いものを大切にするイギリス人の良さにも感銘して、確実に前へと進み続ける時間軸のなかで、自分自身が守り伝承していくべきものを見いだしていきます。

古くから伝わる技法に基づいて、小麦澱粉を鍋で炊き、自家製の糊を製作する。これを10年近く寝かして接着力のなくなってきた古糊と呼ばれるものを使う場合もある。自然由来の糊は数日でカビが生えてしまう為、毎週新しい糊を炊き使用する

「すごく不思議な気分なのですけど、今だからこそ日本の伝統技術が素晴らしいとか、文化の継承をなどと言っていますが、前からそうだったわけじゃないんです。僕は、西洋から学ばなきゃ! 日本変わらなきゃ! もっと西洋のアカデミックなものを取り入れて! という強い気持ちがあって海外に出たんです。でも、あっち側から日本を見た時、修復という分野においての日本の良さは何かって思ったら、まさに伝統の技術力だと思いました。技術も備わる知識も圧倒的に高いとわかったから。そしてそれは、かつての日本で伝統的な徒弟制のなかで培われて繋げられてきた技術でもあると気が付いたんです」

師匠の手を見て動きを真似て、多くの時間をともにすることで体得していく特別な技術。個人の頭脳の賢さや論文の素晴らしさが評価されるように、先進国がよりアカデミックに進む一方で、杉山さんは自らの原点にもう一度思いを巡らせ、未来へと守るべきものは何なのかを受け止めていました。

 

「宇佐美松鶴堂で衣食住をともにしながら技術を修得するという“徒弟制”は、僕が最後の時代でした。明治生まれの祖父が大正時代に同じ京都で修行をし、父もまた昭和に修行に来ていて、そして次に僕が平成に彼らと同じ場所で修行を積んだ。そうやってみんな同じことをやってきているんです。でも当時のことを色々と比較してみると、例えば父には週1日の休みがあるのに対して、大正時代に14歳で修行を始めた祖父の頃は月2日しか休みがないわけです。さらにさかのぼって、明治時代の曾祖父の時代は12歳から仕事を始めている。僕なんか修行のスタートが大卒の22歳で、しかも週休2日。こうやって変わりつつある時代のなかでどうやって同じだけの技術を伝えてくのか、ということも考えさせられます」

手先まで集中をする修復中は、真剣勝負で黙々と美術品と対峙する杉山さんだが、教室では笑いをとるのも上手で、学生たちからも慕われる良き教授

修復に携わりたいと希望する若い世代に、大切なことを教えたい。専門的な大学で教鞭を握ることも、世界中の修復士へ向けたワークショップや講演をすることも、そしてSNSを通じて日本の修復技術を写真や動画で発信することも、彼が見いだした未来への継承のカタチなのかもしれません。そこには、先進的な考え方と古来の伝統、その両方の良いところを混ぜ合せより良いカタチで未来に繋げたいという、杉山さんの情熱と技術力があります。

水糊を含ませると一瞬にして透明になってしまうほど、ごく薄い楮(こうぞ)の漉き和紙

一辺の紙が繋ぐ過去と新しい未来

これまで、数多くの美術品の修復に携わってきた杉山さん。古い作品から一度剥がされた和紙を捨てずにとっておき、分析調査などをすることで、当時の修復技術や美術品の成り立ち、暮らしぶりまでが垣間見えることもあると言います。大学の研究室ではこの紙の構造から歴史を紐解いていく研究も進められており、今年公開された大浦天主堂博物館所蔵の「ド・ロ版画」の修復調査からは、制作の年代だけでなくそれが西洋の技法によって作られたものであり、長崎キリシタン文化を読み解く重要な足がかりともなりました。

廊下の一番奥が、杉山先生の研究室。ロンドンのチャリティ団体が運営するリサイクルショップで購入した、ツイードのジャケットを着て

「研究室には、大正時代に初版が出た表装師にとってのバイブルのような書籍があります。研究対象にもなるこういう古書の多くは、父親から受け継いだものです。修復方法も時代とともに変化し、紙以外の材料も生まれています。パンデミックを体験して、大学にも次々と新しい技術が導入されているし、私自身も世界中のコンサバターと繋がるツールを日々活用するようになりました。でもやっぱり、コアになる部分は数百年間変わらない。10年寝かして使う古糊ひとつとっても、今でも良い結果が残っているということに、先人たちの知恵と経験の貴重さを実感します。父の書物が伝えることも、海外の技術者たちに日本の修復技術を教えた僕の師匠の活動も、すべて未来へと受け継いでいきたいなと思うんです」

修復の際に取り外された古い和紙なども、研究室に大切に保管され、文化財の保存や研究材料となる

自らの仕事を“点”であると表現する杉山さん。その点は時代と時代の橋渡しをし、我々が決して触れることもできないほど遥か遠くの未来を結ぶ、重要な中継地点。授業、講演、ワークショップなど、世界中を巻き込む杉山さんの活動は、たくさんの新しい継承者を生み出しています。後世に受け継がれるべき美術品たちの生きる軌跡は今、いくつもの点に静かに支えられているのです。

東北芸術工科大学 芸術学部 文化財保存修復学科 准教授

杉山恵助

すぎやま・けいすけ 東京学芸大学教育学部環境総合科学課程文化財科学専攻卒業。学士。専門は、東洋絵画修復。1997年、京都・宇佐美松鶴堂入社、東洋絵画及び書蹟の国指定文化財の修復に携わる。2003年、アメリカ・スミソニアン博物館や、アーサー・M・サックラー・ギャラリー、サックラー美術館にて交換研修研究員として従事。2007年、イギリス・大英博物館保存修復科学部東洋絵画修理部門平山スタジオにて、シニアコンサバターとして勤務。日本国内外で講演やワークショップを行い、日本の修理技術の伝承に力を入れている。2015年より現職。Instagram @keisukesugiyama_conservation

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