修復士の手から手へ、百年を結ぶ情熱のバトン(前編)

杉山恵助

Text: MIKI SUKA
Photo: KAZUMASA HARADA

170年前、ロンドンで創業したアクアスキュータム。当時の革新的な技術が生み出した撥水加工のトレンチコートは、時を経た今も世界中の人に愛され続けています。良いものは長く愛され、良い技術は継承される。その尊さと難しさの両方を、身をもって知る杉山恵助さんは、後世に残すべき文化財の修理を手がける修復士。過去数百年を生き抜いた名作にそっと触れる指先が、次の数百年先という未来をゆっくりとなぞります。

すぐそばにいる家族は、活動の原点

東北地方らしいひんやりと澄んだ空気。蔵王連峰のなだらかな山々が尾根を列ねる自然豊かな景色が、広い水鏡に映し出されます。里山の自然美と共存するような切妻型の大屋根が印象的な、山形県の東北芸術工科大学。この大学の芸術学部のなかに、文化財保存修復学科があります。そこで教鞭を握るのが、杉山恵助准教授です。

 

杉山さんは、大学で学生たちとともに文化財の修復研究を進めながら、コンサバターと呼ばれる保存修復士としても活動しています。彼が主に修復を手がけるのは、掛軸、巻子、屏風、襖、額に描かれた書画作品など。どれも紙という素材を扱いながら、経年劣化により壊れかけたものを直し、新たに強度を持たせることで本来あるべき作品の状態へと復元させていく作業です。

 

その細やかな修復方法は今、東洋西洋問わず世界中の美術品修復において応用できる技術であると、世界中のコンサバター(修復士)たちが注目しています。日本において古来から存続するその技術を、杉山さんはどのように修得していったのでしょうか。大きな原点は、杉山さんの幼少期、家族の存在にありました。

大学で現在修復しているのは、「魚籃観音図」の掛軸。廊下には、襖絵の下地となる和紙を下張りした板が掛けられている。「昔の人は、いらなくなった帳簿なんかを繋ぎ合わせていました。子供の時、この下張りに使用する巻紙作りの手伝いで貯めた小遣いで、ラジコンを買ったのを覚えています」

「うちは7人家族で、山形の鶴岡という田舎町で代々、表具屋を営んでいました。今でも四代目の父は現役で表具屋をやっているんです。家ではいつも父と祖父が、掛軸や屏風なんかを扱っているような家庭で育ちました。明治から大正にかけて一般の人たちにも書画の収集や鑑賞の文化が広がりました。日本中どこにでも表具屋というのがあったんですね。でも、現代では床の間や和室のないお家も増えてきて、掛軸を飾るという文化も以前ほど盛んではなくなってきています。それに伴い、表具屋さんの数もどんどん減少しています」

 

幼い頃から暮らしに根付いた表装に触れてきた杉山さんが、本格的に美術品や文化財の修復技術を学んだのは、大学卒業後の22歳の頃。京都の表具そして文化財修復の老舗・宇佐美松鶴堂に、住み込み10年の修行に出ます。江戸時代中期から表具に携わり、昭和の戦後から国宝文化財の修復や保存修理に携わる老舗の門下として、杉山さんは本格的な修復技術を修得していきます。

研究室には、表具にまつわる古書がたくさんある。使用される和紙の種類から使われる糊の分量などまで、過去の文献を細かく読み解きデータ化することで、情報として残していく作業もしている

日本の技術が、世界のスタンダードになる

糊をのせる刷毛、水分を与える水刷毛、紙や裂を直線に裁断する丸包丁、糊を水で溶く為の糊盆。杉山さんが愛用する道具の数々は、どれも味のある飴色に変色し、お祖父さんやお父さんの名が刻まれたものもあります。新しい書を掛軸にしたり、古い書や絵画、屏風などを仕立て直したりする表具屋の仕事は、日本の絵画修復や文化財修理における技術のベーシックな部分でもあるのです。和紙・水・糊を使ったシンプルな修復技術を、杉山さんは道具とともに受け継ぎました。

代々、表具製作に携わってきた先代から受け継いだ道具を、杉山さんは大切に使っている

2ミリ幅に刻んだ小さな和紙の紙片を切り出し、ごく薄い水糊で対象物に静かにのせていきます。劣化によって生じた掛軸の折れ目や傷をカバーする為、作品の裏から修復をしていく“裏打ち”の作業を、杉山さんは滑らかな手つきで進めていきます。その一つひとつの作業に、職人の気高さが宿っているかのようです。

 

「“裏打ち”の作業は、水をつけて剥がせるという“可逆性”がポイントです。必ずもとに戻せるということが、世界でコンサベーションと呼ばれる文化財保存修復に必要不可欠でした。だから、修復の技法として和紙を使った日本の技術が見事にマッチしたのですね。海外のコンサバターは、美術館や博物館などに雇われ保存と修復を担当する重要なポジションですが、特に版画やドローイングなどの補修時には和紙と糊が使われます。それが、今世界の紙資料の修復のスタンダードなんです。例えば西洋のレンブラントの素描画なども、補強する時には和紙が使われたりします」

外国のコンサバターたちが、杉山さんに誇らしげに見せるという“ジャパニーズペーパー”。日本の修復技術では、和紙にもたくさんの種類があり、対象物や用途に合わせて細かく使い分けるといいます。なかでも、楮(コウゾ)の繊維を“流し漉き”という技法で作った薄美濃紙などと呼ばれる和紙は、透けるような薄さでありながら平滑で強靭という特性を持ち、修復に用いられることが多いのです。さらに、小麦でんぷんを炊いて手作りされる糊は生麩糊と呼ばれ、手炊きして用意する新糊とよく熟成させた古糊が作業の用途によって選ばれます。手作りされた古糊は、床下で10年もの長期間寝かされて、かびた上澄みを取り除き、極限まで接着力を低下させ、さらにできるだけ薄めて使用されます。どちらも後世に修理する際に裏打ちを剥がす為の可逆性と、巻ける為の柔軟性を掛軸作品に与えてくれる重要な材料だといいます。

 

「1970年代に、日本の表具技術と材料が西洋のペーパーコンサベーションの分野に紹介されました。そこから一気に和紙での修復が広まって、今では当たり前になりました。海外のコンサバターの人も『ジャパニーズペーパーを使いました』ってあえて言うほど、日本の紙を使うことをすごく気にかけている。日本の紙というものが、良いものだと認識されていることが嬉しかったですね」

 

和紙の使い分けも、古糊と呼ばれる伝統的な糊の制作技術も、古くから伝わるもの。新しい技術も生まれつつある現代でも、古来から伝わる伝統の技術を継承してこそ活かせるものであると、杉山さんは言います。

確立されたコンサバターという職業

京都で、10年間の修行を積んだ杉山さんは、その後アメリカに渡航します。スミソニアン博物館が管理し、日本を含むアジアの古美術品を多く展示するフリーア美術館で、交換研修研究員として経験を積みます。そしてその後、世界最大の博物館のひとつでもあるイギリスの大英博物館へ、コンサバターとしての勤務が決まりました。

 

「海外へ目を向けたのはやっぱり、自分の視野を広げたかったというのがあります。海外ではどんな博物館、美術館でもコンサバターを雇っているので、それを経験したかったというのと同時に、海外の技術も見てみたかった。日本を外から見たかったっていうのもありますね。自分がこれからより向上していく為に、新しいものを学びたい気持ちが強くて」

同大学、文化財修復研究センターで講師を務める元 喜載(ウォン・ヒジェ)さんが、文化財保存修復のパートナーとして活躍している

「渡航して、実際に仕事に関わるなかで驚いたのは、アメリカにもヨーロッパにも、世界中に日本の美術品があるということです。大英博物館の日本画や浮世絵だけでも数万点あるんですね。それだけのコレクションがあったらやはりそれを守る専門家が必要です。例えばギリシャ彫刻の保存の為には石を専門とした修復士を雇うし、作品の材質によって、金属の修復士、紙の修復士、染織品の修復士など、収蔵品の種類が多いほど多数のセクションが必要になります。大英博物館だと、科学者も含めて、当時で90人以上が雇われていましたから、やはり日本との規模が違いますよね」

 

 

後編につづく

東北芸術工科大学 芸術学部 文化財保存修復学科 准教授

杉山恵助

すぎやま・けいすけ 東京学芸大学教育学部環境総合科学課程文化財科学専攻卒業。学士。専門は、東洋絵画修復。1997年、京都・宇佐美松鶴堂入社、東洋絵画及び書蹟の国指定文化財の修復に携わる。2003年、アメリカ・スミソニアン博物館や、アーサー・M・サックラー・ギャラリー、サックラー美術館にて交換研修研究員として従事。2007年、イギリス・大英博物館保存修復科学部東洋絵画修理部門平山スタジオにて、シニアコンサバターとして勤務。日本国内外で講演やワークショップを行い、日本の修理技術の伝承に力を入れている。2015年より現職。Instagram @keisukesugiyama_conservation

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