未来に繋ぎたい記憶にこそ、香りを添えて(後編)

マイヤ・エンジャイ

Text: MIKI SUKA
Photo: CHARLES MORIARTY

170年前にさかのぼるロンドン。時代の先端を行きながら、未来に繋がるブランドとしてアクアスキュータムは誕生しました。ものに心を込めて、長く愛し使い続ける姿勢こそ、ロンドンっ子たちを魅力的に見せている所以かもしれません。そんなロンドンに憧れて、スウェーデンを飛び出したひとりの女性がいます。自らの感覚だけを頼りに、どこにもないオリジナルの香りを作り出しているのは、調香師のマイヤ・エンジャイさん。彼女のまっすぐな心が生み出す香りには、今人々が欲している家族や愛する人の温もりが宿っているようです(前編はこちらから)。

生まれ持った感覚に頼ること

森に囲まれた家の前、まだ幼い姉たちが写る写真から得た色の香りは、後に『ノルディックシダー』と名付けられたフレグランスとなりました。なんともノスタルジックで心地良い時間が、そのまま香りとして再現されたのです。「Story of the scent」=匂いのなかに物語があること。そして、自分のクリエイションにはすべて香りがあることに、マイヤさんはこの時はっきりと気が付いていました。ヴィジュアルがもたらすものは、身体に沸き起こるような芳香。そして今度は、忠実にその香りを再現したいと思うようになったのです。

「不思議で仕方がないのですが、私のなかではすべての匂いと記憶が結びついていて、さらに色へと繋がっているんです。写真、人、場所、自分の行動のなかのすべてにはっきりとした匂いがある。そう分かった時、居てもたってもいられなくなって、この感覚こそクリエティブに使うべきだと気が付いたんです。面白いことに私にとって香りは、味であり、触り心地であり、音楽でもある。匂いが生活のものすべてと結びついていることが分かったんです!」

「シナスタジア」と呼ばれる、共感覚の持ち主であるマイヤさん。幼い頃から当たり前だと思っていた知覚現象という個性を持っていたことに、ようやく気が付くことができたのです。彼女自身が大切に思うヴィジュアルと香りを紐づけることは、マイヤさんにとって自分自身を認めていく作業であり、必然的な行動とも呼べるのかもしれません。

左:木のカートに乗せられたのは、西アフリカ産のシードとバーナーで焚くお香 右:アトリエの扉を開ければ、一気にマイヤさんの世界観の香りに満たされます

香りは、言葉の代わりを果たすもの

「幼い姉たちと近所の人たちのおしゃべりの写真は、森に囲まれた北欧の暖かな陽だまりそのもの。カルダモン、パチョリ、ムスク、シダーウッドが漂い、私自身、1年中身に付けていたくなる香りが生まれました。私のおじいちゃんの古い写真からは、チークや革、煙草のスモーキーな香りが混ざり合っています。母の故郷ガンビアの写真からは、ウッド、フルーツ、スパイスが絡み合ったとても複雑な組み合わせが。バニラを用いた甘くパウダリーな香りは、叔父と叔母のノスタルジックな結婚式の写真から生まれました」

香りを写真にマッチさせ、カラーパレットを引き出して作り出す独自の調香方法は、マイヤさんにとってとても個人的な作業だったと言います。まるでフィーリングのような特殊な感覚に頼り調香していきます。

 

「私にとっては、香りは言葉と同じくらいの意味を持つんです」

コロナ禍、新しいものに触れたり出合ったりすることが難しくなっている今、マイヤさんがプレゼンテーションする香りはどれも、写真とカラーパレットがセットになっていることで、私たちは実際に手に取らなくてもその匂いを想像し、新しい香りに興味を持つことができるようになりました。英国でも人々が家族に会えずに家にいたロックダウン下で、マイヤさんの香りは家族や恋人を思い出すような存在として、共感する人も多かったと言います。

それぞれの香水のインスピレーション源となった、家族や自分自身の思い出の写真の下には、香りとリンクするカラーパレットが敷かれています。現在リリースされているのは5種類の香り

自然を自然のまま残す為に

スタジオには、100を超えるボトルがずらりと並び、それらを調合することで、マイヤさんは新しい香りを作っています。フレグランスには、カルダモンやシナモン、パチュリなどの植物由来の香りのほか、ムスクやジャコウネコなど、動物由来の香りも数多く使われています。

「リアルな動物から搾取する香りを使わないヴィーガンパフュームや、バニラやサンダルウッドなど、貴重な生産物が時には生産者たちを苦しめることにも繋がることから、あえて人工的に作り出した香りを使うことも多いんです。ナチュラルであることもひとつのオプションだけれど、人々がナチュラルを追うばかりに自然破壊が進んでいるのも事実。人工的なものを作り出しながら、自然に手を出さない方法も模索しなくてはいけないとも思うんです」

子供たちの未来に残すべき物事と、マイヤさんはまっすぐに向き合っています。環境保全に力を入れることと同じく、自分が身に付けたクリエイティブな面と、好きなことに向けて一所懸命になる姿勢を娘に見せることもまた、自分が子供に与えられることだとマイヤさんは言います。

「14歳になる娘と何年か前に一緒に香水を作りました。彼女は大好きなシトラスとバニラを調合して、まるでレモンアイスクリームみたいな香りの香水を作ったのだけれど、甘いその香りは、当時の彼女の存在そのものでした」

研究室や実験室に置かれる工業用のシェルフには、数々の調香材料が並びます

未来に繋ぐ100%ハンドメイド

大学で幅広いデザイン学を身に付けたマイヤさんだからこそ、香水のボトルやパッケージデザインも自らこなしています。ショーディッチのスタジオで香水をブレンドして、コンパウンドして、パッケージされる。Maya Njie Perfumesの香水は、小さなチームで100%手作りされているのです。

「そうすることが、私にとっての最善のヘルシーな方法でもあるんです。香水は生ものでもあるから、本来たくさんは作れない。イギリス国内向けには、ボトルのリフィルもしています。すべてをインハウスでやること、そして正直であることこそ、企業として今もっとも大切なことだと思っています」

多くのものを手に入れることはせず、洋服も限られた良いものを長く着たいと言うマイヤさん。頑丈に作られた軍服を普段着でラフに着るのも好きで、’90年代に買ったコートやミリタリージャケットは長く愛用し続け、なかには軍服のコートをテイラーでリメイクし、素敵なドレスを作ってもらったものもあると言います。

「ものを大切にする英国の文化にも、大いに刺激を得ていますね。最初にロンドンに来た時、SOHOのブティックで働いていたんですが、向かいにアクアスキュータムのショップがありました。レインコートにチェック、伝統的なヘリテージブランドは、私の憧れでもありました。当時はスカーフしか買えなかったのですが、今でもそのスカーフは大切に持っています」

ショーディッチのアーノルドサーカスの広場にて。身に纏うのは、スウェーデン軍のミリタリージャケットをベースに、旦那さんのテイラー・BEGGARS RUN(ベッカーズ ラン)でビスポークオーダーしたジャケット

香水作りは、自らの感覚をたどる個人的な作業から始まったと言うマイヤさん。彼女が作り出した香りのなかに今私たちは、自分たちがまだ気が付かない温もりを嗅ぐことができるのです。それは家族や愛する人を想う内なる温もりと、地球や未来を想い外へと放出させていくもうひとつの温もり。その両方がバランス良く循環すべきものであることを、マイヤさんの生き方が教えてくれるようです。

調香師

マイヤ・エンジャイ

スウェーデン・ベステルオース出身。19歳の時にロンドンに移住。出産を経て28歳の時にロンドン芸術大学に入学し、身の回りにある製品の外観やデザインを総合的に学ぶサーフェイスデザインを先攻。在学中に独学で調香を学び、2016年に香水ブランド・Maya Njie Perfumesを立ち上げる。自らのルーツであるスウェーデンと、母方の故郷・アフリカの文化を融合させたオリジナルの香水が、世界中で支持される。Maya Njie Perfumesは、売上げの一部を気候変動に寄付したり、英国内での使い捨て容器を廃止するなど、環境保全への意識も高い。

https://www.mayanjie.com/ Instagram @maya.njie.perfumes

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