祖先から受け継ぐ漢方に、生命の真髄を知る(前編)

杉本格朗

Text: MIKI SUKA
Photo: SIO YOSHIDA

170年の歴史と服づくりの高度な技術を持つ英国生まれのブランド、アクアスキュータム。普遍であることの大切さと、時代の空気に寄り添う柔軟性を併せ持ち、おおらかにその歴史を現代へと繋いできました。漢方薬という世界で、人々が見出した知恵や知識を受け継ぎ、世界を成り立たせる自然界のバランスに寄り添う大切さを説くのは、漢方家の杉本格朗さん。75年続く漢方杉本薬局を背負いながら、変化に富んだ今という時を穏やかに語ります。

心をそっと撫でる漢方薬の香り

鎌倉市大船。1950年創業の「漢方杉本薬局」は、賑やかな商店街の一画にあります。自宅を兼ね備えた昭和初期の典型的な平屋の商店スタイルで、改築を重ねながら現在も営業を続けています。木彫りのサインを横目に薬局内に入れば、染布を貼ったスタイリッシュな木のカウンターに出迎えられます。商店街の喧騒を遮るような静謐な空間には、静かにジャズが流れていて、奥の調剤室では白衣を纏った3代目の店主、杉本格朗さんの姿が見えます。スパイスを重ねたような独特な香りとその穏やかな笑顔に迎えられると、不思議と心身が落ち着いていくような感覚にもなります。

 

「漢方は粉末にしたり煮出すことで香り立ち、その香りは鼻腔の粘膜から体にも入っていきます。植物の根や葉、皮、果実、動物の分泌物、鉱物など、漢方に使われる生薬は、味や香りだけではなく、当然効能もそれぞれ全く異なります。漢方薬はそのような様々なタイプの生薬を組み合わせていくものなんです」

調剤室の棚に積み重なるように置かれた缶や箱の中から出されたのは、木の根のような芍薬(シャクヤク)、赤みを帯びた大棗(ナツメ)、さわかな香りが残る陳皮(チンピ)。馴染み深い生姜やシナモンなども生薬として名を連ねる一方で、牛の胆石である牛黄(ゴオウ)、蟾酥(センソ)と呼ばれるヒキガエルの耳腺の分泌物や、大型哺乳類の化石である竜骨(リュウコツ)などといった未知の物まで、生薬の数は300種近いといいます。

 

「例えば、生薬であるハトムギはお茶にもなっているし、生姜やシナモンはカレーにも入っています。僕は、漢方というのは本来食事の延長であるべきだと思うんです。食事、漢方薬、そしてその先に現代的な治療薬があるべきだと。普段の生活の中にさりげなく溶け込んで、疲れを癒したり気持ちを晴れやかにしたりする。漢方薬は、普段着のような感覚で私たちの身の回りにあるべきもので、そしてその先にあるのは健康なんです」

祖父の開いた漢方薬局

漢方は、中国の伝統医療である「中医学」と深い関係を持っています。中医学が5〜6世紀に仏教やお茶などとともに日本に入ってきた後、日本の環境の中で独自に作り上げられていったといわれています。来年で創業75年を迎える漢方薬局である「漢方杉本薬局」では、格朗さんが生まれた時は、すでに祖父母と両親、叔母が切り盛りしていたようです。そんな漢方一家に生まれた彼の漢方経験は、幼少期または赤ちゃんの頃から始まっていたのかもしれません。

 

「例えば学校で怪我した時や体調が悪くなった時には、保健室じゃなくてまず家に返されました。先生が父に状況を伝えて、それならばと、父が家で漢方を作ってくれるんです。転んだ時に登場する手作りの傷薬「紫雲膏」なんかもあったりして。朝は、これ飲まなくちゃ学校へ行けないという日があったのもよく覚えています。緑の液体で、なんかドロドロしている。今思えば熊笹エキスだったのかなと思うんですけど、当時は子どもながらに、ヒェ〜と思っていましたね(笑)」

写真の中に残る、かつての「漢方杉本薬局」。たくさんの薬剤とともに、祖父や父の働く姿も収められている。祖父の建てた木造の薬局を補修しながら、現在も同じ場所で営業を続けている

格朗さん自身も今では日課のように服用しているという漢方薬は、日常生活の習慣として、体の機能を補佐する役割もあるようです。さらに、自然由来のものだから、子どもからお年寄りまで安心して服用することが出来るのも漢方薬のメリットなのです。

 

「漢方薬局では、病院と違って眼科、内科、外科、婦人科、小児科、皮膚科……、だいたい全部の科目を診ることが出来ます。だから基本、どんな症状の方が来ても断らないことをモットーにしているんです。難病の方が来られることもあるんですが、わからなくても一緒に考えて調べて、出来ることはする。何とかする。何とか出来るのは、病名を見るのではなくてその人を見て薬を選べるからなんです。お話をじっくり聞いて、脈を見て、舌を見れば、その人の今の状態がわかります。病名が何であれ、悪くなっている原因のところにアプローチをしていくことが漢方の役割です。漢方の根源には、体が元気になれば病が治るという発想があるからです」

リノベーションされ、木の温もりがあふれた素敵な薬局内。お店の看板同様、内装はVACANTの永井祐介氏が手がけた

75年の歴史を繋いでいくこと

格朗さんが高校時代に他界をしたお祖父さんの三治さんは当時、行商で薬を売り歩き、後に大船駅からほど近い場所に、現在の漢方薬局を開業させています。当時は、漢方薬だけではなく薬全般を取り扱っており、今でいう調剤薬局とドラッグストアを兼ね備えたのような存在だっといいます。かつては映画の名監督、小津安二郎も贔屓にしていた様子が、後に出版された小津の日記『全日記小津安二郎』にも、細かく綴られています。

 

三治さんの亡くなった後、薬局を引き継いだお父さんは、格朗さんが26歳の時、体調が優れず、「もう続けられないかも」という家族の言葉がずしんと心に響いたという格朗さん。

今はなき「松竹大船撮影所」は、漢方杉本薬局からも徒歩圏内の場所にあった。撮影所を代表する映画人、小津安二郎は、漢方杉本薬局に頻繁に訪れては自身の薬を調合してもらったり、映画のセットに必要な薬の箱を借りたりもしていたそう。『全日記小津安二郎』では、写真右上に漢方杉本薬局が登場する

「祖父が苦労して始めたものをやめてしまうことに、すごく抵抗があったんです」と、当時、大学で学んだ染色の仕事を細々と続けていた中、薬局に立つことを決意します。

「まずは店を手伝ってみよう、というところから始めました。次第に、祖父や父が一緒に勉強していた漢方の先生たちが僕のことを呼んでくれて、一からきちんと教えてもらうようになったんです」

格朗さんは、お祖父さんやお父さんが残した当時の薬局の写真や、お医者さんから預かった古い手書きの処方箋を今も大切に保管しています。当時の顧客の病状が万年筆で丁寧に記された一片の紙には、治したい、より良くしたい、と願いながら様々な調合で処方された漢方の名称が所々に記されています。

 

「祖父がどうして漢方薬局を始めたのか。今となれば、いろいろじっくり聞いておけば良かったなと思うことがたくさんあります。祖父はとにかく優しくて近所の人にも気を使うような人だったし、父は父で、熱心に漢方のことを勉強し続け、間違ったことがあると声をあげてしまうタイプで、1人でも異議を唱えるような人です。それで今、僕の中には二人の特徴が全部入っている感じがしていますね(笑)」

祖父が実際に使用していた処方箋には、万年筆で書かれた手書きの文字が残る。格朗さんが漢方でも使われる生薬、クローブ(丁子)で染めた生地を貼ったカウンター

生命の根源、自然界との繋がり

西洋の薬学が中心という日本の薬学部では、漢方学についての深い知識を得ることは出来ず、漢方の処方を身につけるためには修行や経験、そして何より大切な実践を積みながら継承していく世界だと、格朗さんは言います。知識と経験を総動員して、実践に向き合う。この16年間も格朗さんにとって勉強と発見の毎日なのです。

「初めて漢方を教えてもらった初日に、“陰陽五行説”の話を聞きました。自然界のあらゆるものが、“陰”と“陽”の要素に分けられること。そして世の中の物事は、5つの要素『木、火、土、金、水』に分類出来て、その5つに感情や味や季節など、自然の変化や関係性までを当て込めることが出来ること。そしてさらに、その5つの分類を体にも応用し、臓器を5つに分けその関係性で薬を作ることが出来ること……。難解な言葉のように聞こえますが、どこか抽象的で、でもちゃんとした理屈があるこの話が、僕にはとても芸術的に聞こえたんです。データや数字だけではない、自然哲学の理論と感覚を大切にすることにもすごく心を打たれました」

 

 

後編につづく 6/7 UPDATE

 

漢方家

杉本格朗

すぎもと・かくろう 1982 年生まれ。1950 年創業の漢方杉本薬局代表。大学で染色や現代美術を学び、2008年に実家の漢方杉本薬局に入社。2021年に、表参道・GYREの4Fにあるeatrip soil内に出張相談所「杉本漢方堂 Soil」を設立。漢方の長い伝統と奥深さに触れ、店頭での漢方相談を主軸に、生薬の薬効、色、香りの研究をしている。漢方の視点から世界の文化を理解し、暮らしを豊かにする活動をライフワーク としている。坂本龍一氏主宰のイベント「健康音楽」、「逗子海岸映画祭」などでワークショップやイベントを展開。漢方を日本の文化の一つとして、JAPAN HOUSEやThe Japan Foundation など、海外での講演も行っている。また、漢方の枠を越えて、生薬を使ったインスタレーションを制作するなど、様々な分野で幅広く活動。漢方監修としてG20大阪サミット「配偶者プログラム」、温泉宿「SOKI ATAMI」などに携わる。著書には『鎌倉・大船の老舗薬局が教える こころ漢方』がある。 https://sugimoto-ph.com/ Instagram @sugimoto.ph @sugimoto.ph_soil

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